自粛生活もまだまだ長引きそうですが、相手はウイルス。自粛疲れしている場合ではない。
ワクチンができるまでは共存していかないとなりません。数年後には歴史の教科書に載る出来事でしょう。「当時の人ってあたふたしちゃってるなあ」と笑われないようにしたいものです。
初めて遭遇したこのような事態の中、自分自身も
「知育 体育 心育」
に注目して自らも成長させていきたいと思っています。
*水木しげる氏WEB転載
アメリカの哲学者エマーソンは「恐怖は常に無知から生じる」という言葉を残しています。わからないものって怖いです。僕も例えばお化けは怖い!
いるのかいないのか、何をされるのか、何を求めているのか、全くわからない存在だからです。実態ある人間なら闘えますが、幽霊のように自分に心あたりのないずぶ濡れの黒髪の女性がいるはずもない場所に立って、じっとりと怨みがましくこちらを見つめてきたとしたらこれは怖いです
地震も怖い。いつくるのか、どのくらいの大きさなのか、きたらどうなるのかということが、はっきりわからない。最近の災害は我々の想像をはるかに越えてくるから余計に怖いです。だから最悪を想定して準備をするようにしています。
今回のコロナもそうです。世界中のウイルスを研究している恐ろしく頭の良い先生達でもまだ分からないことだらけです。わからないから必要以上に怖がって悲しいことに差別が生まれたりします。しかし、どんどん解明はされてきていて、我々は分かってきた情報を取り入れて自分で考えて行動することが出来ます。もう今までの普通は普通ではなくなったと思って、腐らずに今どうしたら自分が前に進めるのか考えて行動するしかない。それだけでもかなり知育です。「知らぬが仏」という言葉がありますが、確かに人生知らない方が良いこともあります。知らなければ穏やかな気持ちで過ごせるということもあります。しかし、知らない方が良くない結果を招くこともたくさんあり、今は「無知は罪なり」です。何も考えずに行動すれば他人に迷惑をかけます。まわりまわって誰かの命に関わる可能性もあります。
「敵を知り己れを知れば百戦殆うからず」---孫子の兵法です。
「敵を十分に知り、また自分のことも十分知っていれば、百回戦っても敗れることはない」ということですが、未知のウイルスはまだ全てわからず、何しろ目に見えない。今、無防備に戦いに飛び出したら完敗です。研究者からの敵の情報を正しく知り、自分に出来るマスクと手洗いという盾と、アルコール除菌スプレーという剣を手に、今は敵から逃げ切るの戦法です。見てろよっ!今に世界の博士達がワクチンを開発するからなっ!
僕も不安がないわけではないが、今こそ自分を試されている時だと考え、知をみがいて来るべき時のために準備をしていきたいと思います。
今、自粛中の子供達は元気が有り余っていることでしょう。
運動とストレスは密接な関係があります。運動するとネガティブな気分を発散させたり、心と体をリラックスさせたり、睡眠リズムを整えてくれます。
定期的な運動は肉体と脳を絶望的になりにくいように変化させるという研究結果があります。
我々の業界を見て欲しい!
幼少の頃から、現代ならアウトであろう厳しすぎる稽古を続け、大人になってもガシガシ運動した結果、大丈夫でないことも「まあ大丈夫だっ、ワッシャッシャ!」と笑い飛ばす人間がいかに多いことか!
持続的な運動習慣は、人間の心をストレスに強くし、特に子供達にとっては成長の刺激に欠かせない要素であり、精神的.社会的な成長につながるといいます。
運動をすると、幸せホルモンと言われる「セロトニン」が分泌されます。「セロトニン」が増えると心穏やかで、集中力も高まります。逆に「セロトニン」が不足すると、イライラして怒りっぽくなります。向上心低下、意欲の低下、協調性の欠如につながります。暴力的になったり、不眠やうつ病を引き起こしたりします。
セロトニンを増やすには日光を浴びることも大切です。「トリプトファン」という栄養素を摂ることも大切ですし、睡眠を取ることも大切です。朝起きてカーテンをあけ、納豆や卵、バナナ、肉、魚など、トリプトファンを含むものをバランスよく食べて、しっかり運動をするという規則正しい生活がセロトニンを分泌し心を健康にします。ゲームで昼夜逆転した人が引こもりになるのは、メカニズムを知れば自然な流れです。
そこで空手キッズ達の元気な姿を見たいのと、有り余る元気を発散して、心と体の健康を維持するために、オンライン稽古をしていこうと思います。漲るパワーを空手で爆発させて、目一杯体を動かそう元気いっぱいな姿をみせて欲しい皆の元気な姿に僕もパワーをもらえます
規則正しい生活が出来るか出来ないか、自分の人間力が試されてます。
感謝するという行為は人間にポジティブな感情を起こさせるそうです。今、不安もたくさんある中ではありますが、感謝すべきこともたくさん溢れています。
医療の現場で自分の生活を犠牲にして、人も物も足りず危険な中頑張っている医療関係者の方々がたくさんいます。本当にありがとうございます。区役所や保健所の方々も少ない人数で日々対応に追われています。保育所や介護施設で、家族に代わって子供やお年寄りをみてくれている人もいます。毎日ゴミを収集してくれる方もいます。ワクチンや薬の開発にあたっている人もいます。たくさんの人が自分の生活を支えてくれています。
空手キッズ達も、毎日を振り返ってみてください。
君達はご飯を食べたり、宿題をしたり、ゲームをしたり、お風呂に入ったりと、毎日自分のことに時間を使っていると思いますが、お父さんお母さんは、君たちのために仕事をし、朝昼夜とご飯を作り後片付けをし、君たちの物を洗濯し干して片付け、掃除をし、お風呂の支度をし……1日の時間の大半を君たちのために使っているのではないでしょうか?
ちゃんと毎日「ありがとう」を言っていますか?今日、自分のためにしてくれたことに対して、一度も「ありがとう」を言っていない子は、明日はしっかりと声にだして「ありがとう」を伝えましょう!「ありがとう」が言えるというのは、とても幸せな事です。
長引く自粛期間、僕も不安がないかといえばそれは嘘になりますが、進むのは前しかない。頭も体も心もガシガシ磨いて、この人生の強い向かい風に飛ばされないように耐えに耐えて、風がやんだら軽やかにダッシュをきめられるように、出来るようコツコツ行うべき事を実行するのみ
「知育体育心育」
を自分自身も頑張っていきます。
明けましておめでとうございます。昨年は本当にたくさんの方々にお世話になりました。心より感謝しております。
本年もどうぞよろしくお願いします。
2020年東京オリンピックがやってきます。
とうとう空手がオリンピック種目になりました!
空手業界が盛り上がるのは大変嬉しいことです。この日のために何年も何年もどれだけ多くの方々が尽力してきたことか。
この2020東京オリンピックも最初に石原都知事が「東京オリンピックをやろうじゃないか!」と言い出した時、反応は冷たかったと記憶しています。その当時、僕は単純に世界の一流アスリートが日本に来ることは素晴らしいことだと思いましたし、熱いスポーツの祭典を見たいと思いました。
そして何より石原都知事は
「オリンピックはね〜儲かるんだよ!」と言い切っていました(笑)昭和っぽくて良い!
しかし「お金がかかりすぎる」などネガティブな意見ばかりで、「東京でオリンピックをやろう」という流れはまったくなかったので残念だなあと思っていました。
しかし、その数年後、驚くほど招致が盛り上がり、今にいたるわけです!その裏で多くの人が長い期間努力をし続けていたことに頭が下がります。と同時に、その時の風もあるんだな、と強く思わされました。
何かうまくいかなことがあっても地道に努力して待てばいつか流れがやって来る??成功者は必ず努力し続けているのです!何か壁にぶち当たっても腐らずに風向きが変わるその日までコツコツ頑張る人間でありたいと思います。
さて、去年から「空手をやっていて良かった」と強く思える年が続いています。
熱意をもって何かに打ち込んだ時代を共にした人との絆は強く、さらにその時代にキツい稽古も耐えきった自分が、大人になって頑張らねばならないときの自分を後押ししてくれます。
20年ぶりの同窓会で、見た目は完全にオヤジとオヤジなのに、話しているうちにお互い当時の少年の姿に見えてくるように、当時の先輩に会えば気が引き締まりますし、当時のパワーが蘇ります。
空手に限らず、気力体力みなぎる時に何かに全力で打ち込む経験は宝です。
宝だと思えるのは10年後か20年後もっと後なのかもわかりませんが、スポーツでも勉強でも、趣味であっても、がむしゃらに何かに打ち込む経験は、絶対未来の糧になると自信を持って言えるようになりました。
道場生にとって、それが空手であったら非常に嬉しい!
オリンピック組織委員会会長の森元首相が総理大臣室の写真にラグビーのユニフォームで写ったり、毎年年始に番組でとんねるずの石橋貴明さんが「帝京魂」を披露するように、スーツのところを道着を着てしまったり、仲間が集まって「道場魂」を叫んでほしい。
空手から卒業し大人になって空手道場を見かけた時に、「俺もかなり頑張ってたな。皆は元気かな。」と懐かしい思い出が湧き上がり、あの時のように今また頑張ろうと気合いのスイッチが入るような熱い道場生活を目指して指導者として益々努力していきたいと思います。
また大人の会員の方々は、キングカズのように、若者にはまだまだ負けない大人の背中を見せつけて行きましょう!
稽古して筋肉に語りかければ、筋肉は応えてくれます。成長ホルモンに働きかけて、艶のある輝く大人であり続けましょう!
2020年も皆様と一緒に汗と涙と笑顔に溢れ、ほとばしる気合と溢れ出る血飛沫に満ちた道場にしていきたいと思います。
今年度も何卒よろしくお願いいたします(^_-)-☆
春の甲子園も残すところ決勝のみ。熱い闘いは感動を呼びます!そのせいかどうかはわかりませんが、喫茶店で隣の40代後半であろうマダム5人組が座り、楽しそうに盛り上がっていました。その内容は「今ならアニメ『タッチ』の登場人物の中で誰と結婚したいか」(笑)
ポイントはこの
『今なら』
という言葉です!世間を知らない若い頃と現実を知った今では選ぶ人が違うということ!
男として多少の恐怖と興味が入り混じり、つい会話に加わってしまいました(笑)
マダム達が夢見る乙女だった当時の推しメンをまとめると、
『かっちゃん派』
『たっちゃん派』に分かれていましたが、大人となった今、いろいろな名前が飛び交っていました。
申し訳ないことに僕はあまり『タッチ』には詳しくない。南ちゃんが出てくる野球の話だったなあ…というザックリした記憶しかないのですが。
マダム達によれば『かっちゃん』は安定感抜群。大手企業で順調に出世をしていき、良きパパになっただろうが漫画の中でも子供をかばって亡くなってしまったのだから、優しさと正義感から損をしてしまう運かもしれない。
『たっちゃん』はポテンシャルは高いけど活かせるかどうか妻にかかってくる。
更にたっちゃんは全然勉強してないから大手企業は無理だけど、細やかな気配りと頑張りで、中小企業で花開く可能性ありと
……高校生活を見てそこまで先を予想するとは!
僕にとって南ちゃんは年をとっても南ちゃんのままを想像してしまいますが、女性は現実的です。そういえば、昭和の白雪姫 天地真里さんの変化に泣き崩れた父の友人がいたのを思い出しました。
さて、5人のマダム達は『昔はたっちゃんが好きだった』という意見が多かったものの、今選ぶならということで、大いに盛り上がったのは『新田君』なる人物でした。僕は『新田君』に関してはまったく初めまして状態だったので後から調べたところでは、この新田君、野球の腕はピカイチ、頭脳明晰、かなりな美男子でさらに実家は金持ちという非常にいけ好かない奴のようです。
新田君のくだりは盛り上がってました。新田君のプラスポイントは
1. とにかくイケメン
2. 間違いなくエリート
3. 実家が金持ち
新田君のマイナスポイントは
1. モテすぎて心配
2. 完璧すぎて妻として気が疲れそう
3. 絶対親の面倒をみることになるから自由がなくなる
4. 妹が面倒そう
マイナスポイントの3、4は震えるほど具体的な意見交換がなされていました。ただ、仕事に家事に子育てに夫の親の面倒まで、マダム達の忙しい毎日を知って頭が下がりました。
僕が一瞬、心癒されたのは『孝太郎』君について。
『孝太郎』君は、和也、達也と組んだキャッチャーで、ぽっちゃりどっしりした正義感あふれる優しい男。『孝太郎』となら、明るく楽しく穏やかな家庭が築けるし、よき夫よきパパになりそうだと。何よりも優しさが幸せになる基本だと。さらにエースで活躍する人より、人や状況を読んでまとめる能力を必要とするキャッチャーやマネージャーのほうが会社は必要とするし、意外と昇進するという仕事面への期待も高くありました。そう、人間の基本はやはり優しさなんだっ!
意外にも金や顔でなく、優しさを大切に感じているマダム達に思わず握手を求めそうになったその時、
『でも、もし新田君と孝太郎と同時にプロポーズされたらどうする?』
という一人のマダムの問いに全員が
『やっぱ新田君いっちゃうな〜アハハハハ』と……だよね〜(-_-;)
まあ、大人になって気づくことって沢山あります。
子供の頃ガンダムを見て『なぜホワイトベースのお袋さんであるミライさんがモテるのだ?お色気セイラさんではないのか?』と思っていましたが、今ならわかります。ミライさんの素晴らしさ。
仕事で凹んで帰った時に『それでも男ですか!?この軟弱者っ!』とビンタされるより、『わかるわ』と優しく包まれたい!僕も大人になりました。
でもミランダ・カーとブルゾンちえみに同時プロポーズされたら迷うことなくミランダ・カーです(笑)
4月になりました。新たな環境でスタートをきる人も多いことでしょう。また一段大人への階段をのぼっていきましょう!
いつも通りに稽古を終え、バイクで家に着いた頃、僕の身体は凍えきっていました。
まずはあたたかいコーヒーでも飲もうと、椅子に腰掛けたその時、僕の口から無意識に「ヨッコイしょういち!」という一言が漏れたのでした(-_-;)
あまりに往年のオヤジギャグを無意識に呟いてしまった照れ隠しに、「な〜んちゃって」と更に心で呟き、そんな自分に冬の夜以上の寒さで震えました(;゚Д゚)
とうとう僕も自然とオヤジギャグを発してしまう歳になってしまったのか…そういえばここ最近 小倉さんが呆れるデーブスペクターさんのギャグにクスッと笑う僕がいました。
この「オヤジギャグ」ですが、脳の老化現象だとか耳の老化現象だとか聞いたことがあります。脳が老化により一つの単語から似たような単語を幾つか迷ってはじき出してしまう、または耳の老化でピタっと聞き取れず似たような単語が浮かんでしまう、さらに最大の恐怖は、その浮かんだ言葉を面白いかどうか判断を待たずに口からだだ漏れさせてしまうところです。
ただ、僕は「オヤジギャグは老化です説」に関しては少し疑問をもっています。その理由はさかのぼること20年以上前、知り合いにオヤジギャグ大好きなジジイがいました。
オヤジギャグを連発しては、「違うかっ!」「な〜んてな!」を繰り返すので、周りもたまに疲れて聞き流している節もみうけられましたが、非常に家柄も人柄も良く、仕事も出来る小柄なチョイ悪紳士でした。
とにかくスゲ〜豪邸に住んでおり、門から玄関まで50メートルくらいありそうな邸宅。もちろん外囲いは煉瓦作り!近所の子供達は「○○城」と呼称していたくらいの家柄です。
*イメージはこんな感じです!
そんなギャグオヤジは、とにかく良く思い付くな〜と関心するほど、ストックしていたわけではない生きたオヤジギャグをその場でガンガン飛ばしてくるのです。
偉い人だったので、もしかしたら部下は頑張って笑っていたのかもしれませんが、僕の目には上の立場にいるはずのその人が、オヤジギャグで場を和ませ、上下関係の壁を取り払い皆から愛され慕われているように見えていました。
子供心に「このオヤジ、スゲ〜な〜」と感じていた事が思い出されます。
鳥が最初に見た物を親と思うのと一緒、三つ子の魂百までと言いますし、とにかく人生で最初に出会ったオヤジギャグ連発のオヤジが「かなり出来る男」だったため、僕は「オヤジギャグ老化説」を認めきれないのです。
「さあ、今すぐギャグを考えて!」とムチャ振りされて笑いをとれる人はなかなかいない。それなのに、誰からふられてもいないのに、ギャグをかましまくるなんて、素晴らしくクリエイティブな脳ではないか!!さらに強いハートもセットときている。
幼かった頃を思い出してみてください。子供のあなたはダジャレが大好きだったはず!「布団がふっとんだ」「筑波山に食いつく婆さん」などの言葉遊びで腹を抱えて笑った経験をお持ちの方も多いと思います。オヤジギャグの使い手は、そんな少年のピュアな心を持ち続けるクリエイティブなオヤジという生き物なのです。
何も恥ずかしいことはない。頭に浮かんだそのオヤジギャグを勇気を持って言葉にしてみましょう。その時の周りの反応で自分が愛されているかどうかも自ずとわかるはずです。
さあ今月も熱い稽古で筋肉をつけマッスル!
*時折、道場内でもオヤジギャグを求めますが決してパワハラではございません。
純粋にコミュニケーションを図りたいだけなのです( ´艸`)
先日の事。友人が会うなり
「いや〜池袋で初めて見ることができたよ、ドフラミンゴ!!たくさんいるってテレビでみたのに、今まで出会ったことなかったからさ〜」
と嬉しそうに報告してきました。
僕はまったく意味がわからず、「ドフラミンゴ」と聞いてまず頭に浮かんだのは、ものすごくビビッドなピンク色でかなり大きなフラミンゴの姿でした。
赤羽の林家に羽をつけた感じ?
そんな派手なフラミンゴが池袋に?と
全く分けがわかりませんでしたが、よくきいてみると、アニメのワンピースに出てくるキャラクターだといわれました。
恥ずかしながら、人気の漫画をほとんど知らず、漫画といえば、「ゴルゴ13」「魁!!男塾」くらいしか浮かばないので、まずはその「ドフラミンゴ」を調べてみたところ、動物ではなく、ピンクのファッサファッサした上着を羽織ったガタイのよいキャラクター!
今までまったく意識はしていなかったけれど、さすがに街にこれが歩いていたら気づきそうなものですが、僕はまだ一度もお目にかかっていませんでした。
その日から僕のドフラミンゴ探しが始まりました。
渋谷に行けば会えるかもしれないが、なかなか僕の行動範囲周辺には生息していない「ドフラミンゴ」。更に聞くところによると、ファッサファッサしてガタイがよくみえるそのアウターは非常に風通しが良く寒いらしい!益々謎は深まります。このクソ寒い冬場に何故?
見たい、どうしても見たい。その思いが思っている以上に強かったようで、稽古中にフラミンゴが入会を希望して見学に来るという夢まで見てしまいました。
探しつづけること二週間!ついにその瞬間は訪れました。埼京線車内にて、発見しましたっ!!!
埼京沿線にもドフラミンゴの生息を確認したのですっ!
後ろ姿ではありましたが、桜のようなピンクのファッサファッサの、ドフラミンゴさんでした。質感はフラミンゴというよりテディベアのような感じを受けましたが、ネットでみた「ドフラミンゴ」の画像に確かに似ていました!
ピンクのドフラミンゴ系女子を生まれて初めて目にして探し物を見つけた喜びに包まれました。ようやく見つけたピンクのドフラミンゴが、僕には幸せの青い鳥に見えました。
それにしても感心したのは寒風吹き荒ぶ凍える夜に、風通しが非常に良いといわれるドフラミンゴアウターで歩くオシャレに対する若者のこだわり!
その昔、おすぎとピーコのピーコさんが、「オシャレは我慢ですっ!」と言っていたのを思い出しました。
フラミンゴが気になって仕方なかったので生態等を調べていた所、見つけてしまいました
映画 <ピンク・フラミンゴ>(-_-;)
ネット評判を見ると相当にエグいゲスッぷり映画との事。性器やら汚物満載のフルスピード下ネタ映画のようです(-_-;)
監督いわく「アメリカ中流家庭に普遍的な虚栄心と競争心の寓話」だそうです。アマゾンで9800円ですので興味がある方はチェックしてみて下さい(笑)
ちなみに、ついでといってはなんですがフラミンゴの夢を夢占いで調べてみました。「フラミンゴは情熱の暗示。物事に対して積極的になっていて情熱を持って取り組んでいる時によく見る夢です」とのことでした。当たってますね(笑)
ドフラミンゴ探しへの熱い思いを稽古に上乗せして、益々空手に情熱を持って取り組んでいきたいと思います!
あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします。
熱く燃える素晴らしい一年にしていきましょう!
昨年末ですが、僕は山積みの仕事に追われていました。
やらねばならない事、やりたい事もありすぎて、にっちもさっちもいかなくなったので、とにかく気分転換にバイクで温泉にでもいくことにしました。半ば現実逃避、自由を求める僕の頭では尾崎豊が流れておりました。
どのくらい走ったか…ふらり立ち寄った山奥の温泉で、僕は鷹を連れた鷹匠にバッタリ出会ったのでした。嘘ではありません、イベントの帰りなのかわかりませんが、向こうからいきなり鷹を連れた鷹匠がさっそうと現れました。
ところが、見ていると鷹が全然いうことをきかない(笑)
*画像は日本一有名な鷹匠・本多正信公
すぐに鷹匠の腕から飛び立ち、鷹匠が戻れの合図をしてもなかなか戻らない。そのうち駐車場に数台とまる車にガツガツ爪をぶつけながら車にとまる始末。都会だったら賠償問題だなあと思いながら、ダメな鷹を見ておりました。しかしずっとみていると、ダメな鷹と見せて、この鷹さんはかなり計算しているようでした。鷹匠をじらせておいて、適度に鷹匠の元へ戻ります。
さらに女性を見つけ、女性に向かい頭ギリギリにグワ〜っと飛び、
「きゃ〜すごいっすごいっ怖い〜!」
と歓声をあげる様子を木から見下ろしていました。横にいた子供も「うわ〜!!!」と大はしゃぎです。それをみた温泉客数人も鷹に釘付け!
親子のリアクションがかなり良いので、鷹は鷹匠の合図を完全に無視して何度か親子スレスレをグワ〜っとすり抜けては木に止まるのを繰り返し、ひとしきり「すごいっ迫力ある〜っ!」「かっこいいっ!」と黄色い声援を受け場を大きく盛り上げてから、疲れたのか飽きたのか鷹匠の元に戻っていきました。鷹匠は鷹を腕にのせ去っていきました。
ひなびた温泉にぼ〜っと浸かり、山の緑と流れる雲を眺めながら、先ほどの鷹を思い出し「2017年謙虚さを忘れずに生きていこう!」と思いました。鷹より人間が賢いと思うなんて、思いあがりもよいところだと強く感じました。なんだか鷹にニヤリと笑われた気がしたのです。来年はまずは謙虚であろうと心に誓い、一年の垢を全てを流して清々しい気持ちで帰路につきました。・・・・・バイクなので当然湯冷めしましたが・・・・
さて、皆様は今年の目標は立てましたか?
僕の今年の目標ですが引き続きフィジカルだけでなくメンタル強化にも力を入れていきたいと思います。ゴルフでもボーリングでも野球でも体操でも、一流の選手ほど、練習と本番の動きを重ねてみるとズレがないそうです。緊張する場面でも緊張に負けずに練習とまったく同じ動きができる集中力とメンタルの強さが一流の証。
一流のメンタルめざして僕自身も頑張っていきますので、一緒に「ここ一番に強い人間」になりましょう!!
プライベートでは、城からの日の出が見たいですね!「仕事が忙しくて…」と思っていたら一生いけませんから、なんとか今年一度でも城または城跡から日の出を見てパワーを得たいと思います。お勧めの日の出がありましたら、是非ご紹介ください!
2017年、素晴らしい一年なるよう思いを込めて、初稽古に励みたいと思います。
本年もご指導ご鞭撻、何卒宜しくお願い致します。
最近色の本を読みました。
僕が小学生の時にアメリカ土産で「64色クレヨン」をもらい、普段使う12色クーピーに比べて同じ赤や青でもいろんな色があることに感動したものですが、今や何百と種類があるのですね。
色にも歴史があり、僕が好きな色の一つである赤は、日本が日本となる前から存在していた最古の色です。
原始民族が色を使う目的は、「病気や敵から身を守る」「仲間や階級など識別のため」の2つ、これは世界共通とのこと。日本では弥生時代からすでに赤や青の染め物がされていました。
古事記や日本書記には白、黒、紅、赤、丹、青の6種類の色名が記されています。
その後、時代と共に色は増えていきます。
色の中でも「和の色」は、西洋のようにクリアで発色よい色と違い、渋さが加わって粋なんです。名前もこじゃれてます!
僕の勝手な感覚ですが、和の色名で表せば、普段締めている空手帯の青は(はなだ色)、黄色は中黄(ちゅうき)、黄緑は若菜(わかな)、緑は薩摩納戸(さつまなんど)、茶は鳶色(とびいろ)、そして黒はびん榔子黒(びんろうじぐろ)となるのですが、プロが見たら全然違うかも…同じ色でも微妙に少しずつ違いながら何種類も存在しています。
道場では、白→オレンジ→えんじ→水色→青→黄色→紫→黄緑→緑→茶→黒 と帯の色が変化していきます。
白が初めで最後が黒、その手前が茶というのは流派問わず共通だと思います。
聖徳太子が考えた「冠位十二階」では黒は一番下のランクです。濃淡つけて各二色ずつ黒→白→黄→赤→青→紫の12色。上位の紫がどんどんどんどん濃くなり、ほとんど黒に見える濃すぎる紫が平安時代になって位の高い者が着る色になります。
戦国時代になると武士の間で黒紋付きが流行し黒が強さの象徴として人気になります。ちなみに黒にも「墨」「深黒」「漆黒」「桃尻」など種類があり、その中で戦国時代に最高級の黒が先ほどの「びん榔子黒」です。
空手帯の色についてですが、
・白は無邪気でまだ何も染まっていないということで物事のスタートには相応しい。
・黒は何物にも染まらない強い意志ということで締めには相応しい。
・茶は土の色で土台ができてくるということで黒の手前に相応しい。
更に僕の記憶では青は水のように流れるような柔軟な動きが出来てくるころ、緑は山や森の癒やしのイメージで精神的にも成長し穏やかになる……ということだったと思います。その他はまったく記憶にないので、カラーセラピーの本を見てみました。
・オレンジは陽の光の元気でポジティブなチャレンジの色。元気いっぱい楽しく稽古をして欲しいですね。
・黄色が注意喚起…成長してきて少し緩んだ気を引き締めて、改めて自分をみつめて頑張っていこうというところでしょうか。
・面白いのは紫。感性の色。紫を見て「上品で神秘的」と感じたら今の自分はプラス思考、逆に「下品で卑しい」と感じたら今の自分はマイナス思考だそうです。「高貴と下品」「神秘と不安」が交錯する色。確かに技術だけでなく、感性も大切です。
・黄緑は新芽のイメージ。希望を表し心の回復を促す色。
このように見ていくと、帯の流れも面白いです。
白い無限の可能性から(白帯)→
陽の光のように明るく元気に楽しく稽古をして(緋色、エンジ)→
水のように流れるような動きを習得していく(水色帯、青帯)→
しかし油断は禁物、信号の黄色のように気を引き締めて稽古を続け(黄帯)→
感性を目覚めさせ自分の心とも向き合っていく(紫帯)→
改めて春の新芽のようにまだまだ自分は伸びるという希望を胸に稽古をしていくうちに(黄緑帯)→
新芽は育ち木になり森になり、他人をも癒やすような精神的なゆとりが持てるようになる(緑帯)→
さらには木々の土台となる大地のように安定感を持ってどっしりと構え(茶帯)→
そして最後に何事にも染まらぬ強い意志強い心の人格者となる!(黒帯)
…………と、このような流れになるのでしょうか。そうなれるように、帯を締めるときにその意味を意識して、その事を伝達、より良い空手道場を目指して行きたいと思います。
先日の事。
「パラパラパラパラっ」と小雨のような音が聞こえたので「雨かな?」と外をのぞくと木の葉が風に揺れて散っていく音でした。静かな夜にパラパラパラと音をふるわせながらヒラヒラ散っていく木の葉に秋を感じて物悲しい気持ちになるのと同時に、「この風流な事実に気づく感受性を持つようになった自分」に感動しました。
さて話は変わりまして、ノーベル文学賞にボブデュラン氏が決定しました。ぼくはボブデュラン氏の歌は聞いたことがなく、ガロの「学生街の喫茶店」の中の「片隅で聴いていた♪ボブデュラン♪」という歌詞でかろうじて名前だけ知っていました。この曲も僕が産まれる前ですが、たぶん親の影響で耳にしたのだと思います。
そういえば最近の若者に80年代の歌が人気だとか!先日電車で隣になった男子高校生のイヤホンから曲が少し漏れて聞こえてきたのですが、なんと「斉藤由貴」でした。
しかも「卒業」などの僕もうっすらわかる曲に次いで流れたのは、僕には全くわからない「さよならにんじんポテト〜♪」という歌詞……なぜ知ってる?!と驚きましたが、考えてみればこの高校生の親はたぶん僕と同年代。80年代アイドル全盛期に青春をすごしたはず。きっと親が斉藤由貴ファンで、「カセットテープアルバム」を擦り切れるほど聴いていたに違いない!親と関係が良好だからこそ、この少年が斉藤由貴を聴くようになったのだと思うと心がほっこりしました。高校生のセレクトはその後も渋く、中森明菜へ。音漏れはトラブルの原因にもなりますから良いことではありませんが、この時はあまりに懐かしく、電車に乗っている間「イントロ・ドン」の気分でした。いや〜楽しかったです!
あっという間に今年もあと2ヶ月。時の流れは早い!無駄にしてはいられません。懐メロにのせて自主トレに励みたいと思います。
ある日僕の目はにテレビ欄に釘付けになりました。
「法医学ファイル。女医の歯型とそうめんのゆで汁が事件の謎を解くっ!」
………なんだっ?なんだっ?!あまりに事件の想像が何もできず、思いつかな過ぎて脳が動きを止めたようで、頭が一瞬無になりました。
気になったので、他にも、サスペンスドラマの不思議なラテ欄を探してみました。
「たこ焼きで病気を治す薮医者が大病院の医療ミスを暴く」
「北国のお雑煮と銃弾が無実の証拠に」
「フードライター殺人事件、残された乳酸菌の秘密」
食とサスペンスは相性が良いのでしょうか?ほとんどテレビをみない僕なので、昨今のサスペンス事情がまったく飲み込めませんが、僕のサスペンスのイメージは「時刻表トリック」や「温泉」、「崖」といったものだったので、「食」という新勢力に非常に驚きました。
さらに、ラテ欄のパンチ力に感動しました。わずか20〜30文字の中で見てみよう!という気にさせる難しさ。実際ストーリーはさっぱり浮かびませんが、かなり気にはなりました。
思い返せば30年前、水曜スペシャル川口浩探検隊で、
「驚異!幻の魔獣“パラナーゴ”をスリランカ奥地密林に追え!」
「恐怖の人食いワニ!オーストラリア魔の河に死神ブラックポロサスを追え!」
というような文字に「おおっ('◇')ゞ」とワクワクした時代がありました。
カメラマンと照明さんの後から川口隊長が切り込んだっていいんです!「隊長、切り込んでないよね?」と疑問を感じる必要もないのです。結局、最後は何もなくてもいいんです!
子供は純粋に、大人はあのわかりながらもガツンと大げさに演出を施すヤラセ感が大変面白かったのです。
今と違って大らかな時代でした。今は飲み物のミルクにまで「特定アレルギー食品 乳 」と書かれるようになってしまいました。ミルクだから当たり前だが、こんな当たり前なことでも表示しないとならないとは…日本人の考える力を奪っていく陰謀ではないかと疑ってます。
考える力を養うために、手帳に「ラテ欄風 日記」でもつけようか試案中。
「九月二十四日“大威震五連制覇”に突入 卍丸、これが赤羽最終死闘だ」
どんな内容がわかったあなたは素晴らしい!
では、今月も頑張って稽古に励んで行きましょう!
オリンピックが終わりました。感動の嵐でした。日本強かったですね。
僕が子供の頃の記憶ですから、30年くらい前のオリンピックだと思いますが、選手入場の時、日本はビシッと整列して行進して入ってきました。欧米の選手はとても自由で楽しそうに入ってきたのに、日本は列を乱さず無駄話もせずに入場してきたのが何だか不思議で強く印象に残っています。
あの頃は根性第一の時代。ガンガンウサギ飛びをし、水を飲ませず炎天下を走らせ、体罰も今ほど問題になりませんでした。メンタルトレーニングなどという言葉もきかれませんでした。あれから30年様々な理論に基づいたトレーニングが確立され、メンタルの大切にも気づきました。日本人の食べ物も変わり体格も変わりました。僕が小学生の頃、水泳の自由形や陸上のリレーでメダルがとれるなんて全く思っていませんでしたが、今の子供達は「日本人は○○に不利」というようなマイナスの概念無く、育つことができます。
可能性の上限を自分で線引きしないのは絶対大切です。
これからの世代がさらに楽しみです。さらに四年後のオリンピックでは空手の楽しさに多くの人が気付いてくれることでしょう[?]
ところで最近はめっきり朝晩は秋らしくなりました。
秋とは全く関係ありませんが、「貧乏ゆすり」について最近驚いたことが。
小さい頃から親に「貧乏ゆすりは貧乏になる」と聞かされてきました。なんとなく小刻みにカタカタカタカタする様子は、金持ちがドッシリと座っている様とは正反対ですからやはり貧乏くさいイメージがあるので、特に由来を気にしたことがないまま納得していました。
先日友人に
「貧乏ゆすりは貧乏になるからやめた方が良いんじぇね?」
と言ったところ、
「貧乏ゆすりは借金取りが金をゆすり取るときの様子からきてるんだよ、「貧乏をゆする」んだから、つまり貸す側だ。」
とブルジョワ真っ青の言葉で返されました。
なんの疑問もなく小さい時から信じていた事柄と逆の説をきかされたので、大変驚きました。
「貧乏をゆする」→「貧乏ゆすり」という言葉の響きがシックリきたので説得力がありましたが、そんな単純な語源か?とも疑問を持ちました。
で、調べてみましたら諸説ありました。
貧乏人が寒さに震えている様子。高利貸しが取り立ての時に膝を揺する様子。貧乏人が暇なくせかせかしている様子。江戸時代に膝を揺すると貧乏神がくると言われたから。等々いろいろありました。まあいずれにしてもイメージは良くないです。
ちなみに外国人も貧乏ゆすりをするそうですが「貧乏ゆすり」のような言葉はなく、日本のように貧乏になるとは言われないそうです。ただ、嫌がられるのは万国共通みたいです。
最近では血行促進効果があるということで、良い面も言われてはいます。
そこで今回、僕は「貧乏ゆすり」の新たな語源を提唱したいと思います!
エコノミークラス症候群
エコノミークラスといえば「狭い座席」です。狭い空間に長時間同じ姿勢でいる事が「エコノミークラス症候群」と呼ばれる血行障害を引き起こすとされています。
セレブ層が占領するビジネスクラス以上の座席からすると○○人シートですから、僕のようなエコノミークラス愛用者が血行障害を予防するために「カタカタ」と腓腹筋を動かしている様をもって「貧乏ゆすり」と呼ぶ(笑)
これはこれで以外にしっくりとくる(笑)どなたかウィキペディアに推薦して下さい。
もっともビジネスクラス以上の席や車内でも起こり得るとの事で「旅行者血栓症」ともよばれているそうです。
さあ9月、スポーツの秋です!熱い稽古でストレスを吹き飛ばしていきましょう!!
先月気になったプラハ城を図書館に行って調べてみました。
あの西洋の城を機械のない時代にどのように造られたのか…しかし、素人に理解できる易しい書物がなく、難しすぎてさっぱりわかりませんでした。どなたか詳しい方がいたら教えてください。専門用語の羅列で思考が止まりました。子供にもわかる城の造り方の絵本がないかなあ…
観光地として有名なチェコのプラハ城は、聖ヴィート大聖堂を中心にロジュンベルク宮殿や聖イジー教会などから成る王宮であり、闘いを前提とした城郭的な色彩は殆どないらしい。改めて写真で見ましたが本当に美しいですね。完成までに何世紀もかかった訳もわかりました。木造から石造へ変化した「ロマネスク様式」、より薄い壁より高い天井より大きな窓で繊細な印象の「ゴシック様式」、端正で豪華絢爛な「ルネッサンス様式」と建築様式が変わるごとにそれを取り入れ増築しているので、1000年もの建築の歴史を一度に堪能出来るそう。
飛行機が苦手な僕ですが一生のうち一度は実際に見ておきたいと思いました。
ちなみに、プラハ城が築城された9世紀末、日本は平安時代です。貴族達が寝殿造の広い邸宅に住みはじめた頃です。11世紀始めには平等院鳳凰堂が完成、12世紀末から13世紀頭には東大寺南大門が再建され運慶快慶により金剛力士像が作られました。プラハ城が最盛期を迎えた14世紀は鎌倉から室町時代へ移り変わるころです。足利家が栄華を極めていた頃でしょうか。金閣寺などが建てられた頃です。プラハ城内の宮殿が建てられた頃には日本で信長が安土城を築きました。戦争の影響でプラハの大聖堂が最終的に完成したのは20世紀に入ってからです。明治神宮が建てられたのは20世紀前半でした。
既にお気づきの方もいらっしゃると思いますが、歴史をざっくりと比較するだけでも充分に面白い。
時代で比較してみると、平安時代から現代までの建築が、乱れることなく一カ所に見事に調和しているなんて素晴らしい。何度も侵略を受けながら1000年の街並みが美しく保存されているなんて奇跡です。
平安時代の貴族の屋敷から平等院や金色堂、東大寺から荘園、武家屋敷、城に日本庭園…これらが調和して存在していたら日本にも「建築博物館」と呼ばれる都市があったかもしれないです。
あちこちで再開発が進みますが、1000年後世界からみて日本が美しい街になっていることを祈ります。
壊すのは簡単ですが継承していくのは難しい。日本の文化や伝統は後世にきちんと残していきたいものです。僕自身も空手というものを通じて、日本の武士道を伝えていくことに微力ながら全力を尽くしたいと思います!
白河小峰城の石垣修復工事を実見して感動しました!
東日本大震災で崩れた石垣を元に戻す作業なのですが、修復開始当時は小峰城石垣の石の順番がわかるようなはっきりした写真がなく、石垣の写真を呼び掛けて集めるところからスタートしていました。
一年かけて石垣の様子がわかる写真を手に入れた後、次の作業は、崩れ落ちた石垣の石を測定し写真と照らし合わせて、どの石がどの場所に積まれていたかを特定する作業。その石の数なんと7000個!その7000もの石の表面の形を測定し、写真と照らし合わせて通し番号を振り、さらに砕け散ってしまった石に関しては、同じ材質な石を切り出し、表面も奥行きも全て同じ形を計算して、昔と同じようにトンカチを使って手作業で削っていました。昔は機械もなく人の手によりあのような美しい石垣が組み上げられ、長きに渡り城を支え続けていると思うと、先人の知恵と努力に頭が下がります。
ベテランの石工の指示で石を積み上げていくのですが、一センチずれても元通りにならなくなるため、バールで微調整をしながら、一つ一つ石を積み上げていくのです。このプロ意識の高い職人さん達の仕事の様子を見て、思わず姿勢を正してしまいました。。惚れました!
調査に四年、完全復旧まではさらに四年ということですが、すでに一部は復興されています。
さて、ここでふと気になったですが、西洋の城も当然昔は手作業なわけです。いったいどうやって建てているのか、何年くらいかかっているのか?西洋で最古の城は「プラハ城」ということで、プラハ城をググってみて驚きました。なんと、完成まで6世紀!600年??見間違いではないはず、600年…想像していなかった数字で、かなり気になったので、プラハ城に関してはもう少し調べたいと思います。
時間の流れは雄大で、それに比べたら僕に与えられてる時間は目に見えぬ塵よりも僅かなもの。そんな小さな小さな時間ですら、頑張り抜けない人生なんて情けない!プライドを持ってコツコツ頑張った仕事の積み重ねが数年後数十年に形を作り感動をもたらすのです。自分も日々手を抜かず小峰城の石垣のように人生を積み上げて形にしていきたいと思います。
少し前に、テレビでこの春の新しいスイーツを紹介していました。
「マシュマロやナッツをホワイトチョコで固めてます〜!美味しい〜!新しい〜!!」
という若い女性リポーターの言葉に、僕は
「違うっ!」
と叫んでおりました。
ご存知の方も多いと思いますが、15年くらい前でしょうか、ショコラティエエリカというお店のマシュマロやクルミをホワイトチョコで固めた「マ・ボンヌ」というお菓子が大人気となりました。
似たスイーツが、15年経って新しいスイーツとして紹介されていました。流行はグルグル回ると言われますが本当ですね。そう言えば、数ヶ月前になりますが、女子大生らしき子がMA1ジャケットを着ていたので、つい「かっこいいね〜!トップガンみたいだよ!」と声に出してしまったところ、その女子大生は「あ〜トップガンは知らないんですけど、それ、お父さんにも言われました。」と応えて足早に去っていきました。何だか切なかったあの時を思い出しました。もしかすると「このジジイ、ナンパしてきやがった」と思われたのかも。
話は戻りまして、ショコラティエエリカというチョコレート屋さんは今も白金マダムに愛されているようで、ネットで見てみたら、「マボンヌ」も健在でした。
最近は「行列のできる○○屋さん」がたくさんありますが、その中で何年も行列ができつづけるお店はわずかです。そう考えると、何十年も人気を保ち続けるお店は素晴らしいです。
誰もが知っている有名な老舗の店だけではなく、街の寿司屋やコロッケ屋やパン屋、和菓子屋など、二代三代に渡って愛され続け人気を保ち続けるというのは、我々には想像の域を超える努力の賜物だと思います。
久しぶりに実家に帰った時に、子供の頃よく通った人気のパン屋のクリームパンや、ケーキ屋のプリンなど、懐かしの変わらぬ味に心癒されたり、また同級生が三代目として寿司屋を継いでのれんを守っていたりすると「あいつ、凄いな…」と感動します。
僕の主観ですが、こういった店は、「一発当ててやろう」とか「儲けてやろう」というギラギラした感じがありません。また媚びてくる感じもない。「とにかく何とか稼ごうっ!」という浮ついた感じは皆無で、プライドを持って一つのものをコツコツ守り続けているように思います。
さらに感じるのは「優しさ」です。
僕の頭に浮かぶ昔から人気のあるパン屋も和菓子屋もケーキ屋も、自然な味で添加物がなさそうな、素材をいかしている味です。変に飾りたてたりせず、素材の美味しさを伝えてくれています。
こう考えてみると、愛され続ける店は人間に例えても非常に魅力的です。見栄を張って飾りたてたりせず、人の喜びを自分の喜びとして毎日毎日コツコツと精進し続ける!
自分という素材そのものをしっかり磨き続けて輝きをもたせる!
素晴らしいっ!
僕が目指す人間像がそこには存在する。僕の最終形態は老舗の最中や食パンだったんだ!
ここで、「あれ?あなた、あのカラフルで派手なマカロンを愛していましたよね…」と思った方もおられるはず。
いやいや、言わせていただければ、マカロンも立派な伝統菓子です。歴史は古く、13世紀後半のイタリアまでさかのぼります。13世紀後半といえば、日本では宋から饅頭が伝わっております。
今あるあのカラフルなマカロンはフランスの菓子店「ラデュレ」で1930年に作り出されました。ちなみにラデュレの創業は1862年です。あの有名な「木村屋」の創業より前です。フランスに流れたから、カラフルで華やかでポップになったわけで、日本に流れていたら渋いマカロンだったかもしれません。産まれた土地が違うだけで、マカロンも96年前の製法を守り続ける立派な老舗の菓子なのです。
形は違っても、求められ続けるものから学ぶことは多い。まずは自分を毎日コツコツ磨いていく積み重ねです。渋いオヤジとなるか、カラフルでポップなオヤジとなるかは乞うご期待。
今月も頑張っていきましょう!
5月です。私事ですが、40になります。
40歳といえば、織田信長は室町幕府を滅ぼし、ビルゲイツはすでに世界一の金持ちになり、アントニオ猪木は伝説のハルクホーガン戦でKO負けを喫するという人生の苦境に直面していた頃です。
平安時代の寿命は30歳くらいと言われていますが、これは乳幼児の死亡率がとても高いせいとも言われていて、実際は40歳くらいと聞いたことがあります。自分を振り返ればまだまだ40歳ヒヨッコですが、昔はすでに人生を完結していたんですね。
大昔、五月は急に暑くなり始めるため、この時期に病気で命を落とす人が多く、そのため中国では厄除けに菖蒲和や蓬をつかい健康祈願をしました。この風習が奈良時代に日本に伝わり、いまの端午の節句へとつながっていきます。
鎌倉時代には厄除けの「菖蒲」が「尚武」と重なり、武士の間で人気になりました。「尚武」…我々の世界とつながってきましたね!「尚武」とは「武道、武勇を重んじる」ことです。武士にとって自分自身を守る兜や鎧は命を守る道具の象徴。ですから男の子が産まれると兜や鎧を飾って健やかな成長を祈りました。
兜といえば、そう、兜町!兜町といえば、日本を代表する金融街というイメージでした。しかし、以前とは少し変わってしまった!東京都内の金融系の上場企業本社を調べてみたら、兜町には「該当なし」…。金融業界の代名詞だと思っていたのに、金融系はどこに。淋しいことに、皆元気な会社はオシャレな街にお引っ越ししてしまったのです、野村証券さんは大手町にいらっしゃいます。日興証券さん 、大和証券さんもオシャレな街丸の内へ。ゴールドマンサックスさんは六本木、メリルリンチさんは日本橋のコレドに、モルガン
スタンレーさんはもちろん丸の内三菱ビルにいらっしゃいます。スタイリッシュな人々や才色兼備なOLさんが行き交うナウでイケてるエリアと一線を画し、兜町は昨今の嫌煙の波にも負けず煙草の煙あふれるオヤジの街となったとのこと。しかしこのオヤジの街兜町にもそのうち再開発で味のある街に生まれ変わることでしょう。
時代の波はあります。人生にも波はあります。のみこまれることもありますが、また浮上すれば良い!そのためには強い身体と強い心が大切です!
僕も人生の荒波に慌てることなく、もちろん株の流れに心まで流されることなく、「尚武の精神」をもってこれからも日々の稽古に励んでいきます。
4月です!桜が満開です。
どちらかというと遠めの高い位置からピンクの雲海のような桜を眺めるのが好きですが、「桜は下向きに咲くから下から見上げるのが美しいよ」と知人にいわれ、素直にやってみました。確かに花は下を向いて咲いているのでこれもまた非常に美しいものでした。薄いピンクが控えめで清楚で可愛らしい。
こうみえてロマンティックな僕は桜の花言葉が気になり調べてみました。初めて知りましたが、桜には驚くほど種類があり、その種類ごとに花言葉がありました。
我々が一番目にする
染井吉野は「純潔」「優れた美人」
山桜は「あなたに微笑む」「純潔」「高尚」
寒桜は「気まぐれ」
というように、なんとも男の心の琴線に響くものがならびます。
言葉を選出しているのもジジイでしょうから夢でも見ているのでしょう(笑)
ちなみに「桜の花出版」という会社から空手関係の本がよくでています。
僕の産まれた5月の誕生花はなにか急に気になり、こちらも調べてみました。5月の誕生花は紅薔薇、赤いカーネーション、八重桜、花菖蒲……なんだかたくさんありますが、このあたりは花屋さんの流通の事情でいろいろ変わるらしいです。急にロマンティックから俗世にまみれた感じがただよいますが、まあ元々人間が考えて出したものですから仕方ない。物事は表裏一体ですから、良く見なければなりません。
いろいろ調べでいるうちに、花言葉にもおだやかでないものがたくさんありました。
リンドウ…「悲しんでいるときのあなたが好き」
アイビー…「死んでも離れない」
スノードロップ…「あなたの死をのぞみます」
どうです、かなりパンチきいていませんか?花が美しいだけに背筋がゾワッとする怖さがあります。ただ、花言葉は一つではなく、それぞれの国の神話や、花の歴史によって変わってくるので、一つの花にたくさんの花言葉があるようです。ものは言いようとは言われますが
アイビーの花言葉も「死んでも離れない」といわれたら怖いが、「永久の愛」といわれたら美しく聞こえます。
スノードロップもイギリスの言い伝えでは死の象徴ですが、スコットランドの言い伝えでは幸運に恵まれるそうで、一つの花にもいろいろな顔があるようで、一つの面だけをみて決めつけてはいけないのは、全ての物事に通じることですね。
空手に関係する花はないかな〜と探しましたが、唯一見つけたのが「こぶしの花」でした。白くきれいな花ですが、つぼみの形が握り拳に似ているからという説や果実が握り拳のようにゴツゴツしているからといった説があります。
花言葉は「負けん気の強さ」
素晴らしく空手向きな花ではないですか!!
拳を鍛えて美しい花を咲かせることができるように、僕も頑張って稽古に邁進していきたいと思います。
さあ、空手で自分のなかにある華を咲かせましょう!
冒頭に申し上げておきます。
「気に入らない」と感じる方も多くいるのではなかろうかと思われる内容が含まれています。特に女性には。
・・・・
先日喫茶店でコーヒーを飲んでいる時でした。
隣で可愛い女性二人が談笑していました。
注:僕は耳が良いので会話が入ってきてしまうのであり、決して聞き耳を立てて真剣に聞いていた訳ではございません。
クールビューティーなAさんが、ラブリーキュートなBさんに
「彼に動物園より水族館に連れて行ってもらいたいのに動物園ばかり連れて行かれるの」とこぼしていました。
僕「パンダやキリンを見るより魚類が見たいのかな?可愛いな」と微笑ましく思う僕の心はこの後の展開に粉々に砕かれることになります。
Aさんは続けました。「しかも〜『ふれあい広場』とか連れて行かれるんですけど。別に触れ合いたいほど動物好きじゃないし。」
Bさんが応えます。「においするし、ラバとか唾飛ばしてきたりするし、毛は舞ってるし、私も苦手」
岩「・・・・・」
A「何だか知らないけど彼は、女の子はみんなウサギさんとかハムスターさんとか『可愛い〜っ』って可愛がるものだと思ってるみたいで、水族館のが好きなんだけどって伝えたら、びっくりしてた」
B「あ〜!それね。勘違いしちゃうのかな?あれは、『きゃ〜可愛いっ!ウサギちゃんふわふわっ!』と言って小動物を可愛がる、そんな優しくて可愛い私を見てっ!というアピールだよね、たぶん皆そのあとめちゃめちゃ激しく手を洗ってるよ(笑)」
A「そうそう、一応行きたくなくても『触れ合い広場』に連れていかれたら、小動物と触れ合いますよ、可愛がりますよ!冷たい女に見られたくないし」
B「私も近所のワンチャンとか『可愛い〜』って一応いうよ、言わないと優しくないみたいじゃない?でもうっかり舐められたりしたら心は鳥肌!」
僕はコーヒーを持つ手の震えを抑えるのに必死でした。これを読んでいらっしゃる皆さんは「僕の聞き耳」に震えているかもしれません。僕は心では的場浩司ばりの「まじかっ?!」を連発しておりました。
昔、散歩中に「ワンチャン可愛いっ!」と、子犬を撫でて可愛がっていたあの娘も、ペットショップで「猫ちゃん可愛いっ」とキラキラした目でのぞき込んでいたあの娘も、全て計算だったのかっ。
いや違う、断じて違うっ!!!あの時、あの娘達の目は嘘なんかついていない!動物を可愛がる優しい娘達だったんだ!
僕の過去の温かな淡い思い出達にとって、AさんとBさんの会話はさながら液体窒素…心の中で何かが冷たい湯気をあげながらシャリシャリと崩れ落ちる感じがしました。
『優しさ』は他人に向けてアピールするもので、『思いやり』は本当に心から人のためを思う清らかなものだと、誰かに言われたことがあるのをふと思い出しました。その時にはピンときませんでしたが、二人の女性の会話を耳にして、優しさと思いやりについてのその言葉が腑に落ちた瞬間でした。
ただ、計算であっても良いではないかと僕は思うのです。彼女達も彼に良く思われたくて計算するのです。誰かを陥れるための悪意ある計算の行動ではなく、誰かに好かれたくてやる計算は男性も女性も可愛らしいではないですか。人間そのくらいの心のゆとりは持つべきだっ!幸せなら手を叩くべきなのであります。計算も含め温かく見守ることのできる中年オヤジになろう!
今日は3月3日のひな祭りです。子供の健やかな成長を願う親心は何の計算もなく清らかで美しい。
もちろん僕の空手愛もこの道一筋30年、計算なし掛け値なしの空手愛です!
さあピュアな心で今月も稽古に励んでまいりましょう!
「機動戦士ガンダムの英語」を買いました。
ガンダム好きとしては、これで英語はペラペラに、完全マスターとなるはずっ!
しかし、駄目でした。
「Because he was a spoiled kid…」(シャア 坊や、だからさ…)
「I,Ramba Ral,will complete this mission with my bare hands if need be.」(ランバラル たとえ素手でも任務はやりとげる)
…いったい、いつ、どの状況で使えばよいのか…これは、もっと英語の出来る人が感情によって英単語を選びわけて使うことを学ぶような本でした。ちょっと僕には早すぎる。
まあ使えるセリフとして
「You call yourself a man!? You weakling!!」
は覚えて、いざというときに自分を奮い立たせたいと思います。これは誰のセリフか、ガンダムファンは当ててみてください。
さて、話は変わりまして、先日都内ホテルのロビーにて、60代とおぼしきマダム三人組に「写真をとっていただいてよろしいでしょうか?」と声をかけられました。「もちろんですよ〜」とこたえた僕に懐かしいものが手渡されました。それは「写ルンです」!
一番最後に使ったのは…たぶん15、6年前ではないでしょうか?
もう覚えていません。いつしか写真をとるならデジカメになり、それからスマホになり、とにかく撮ったものをその場で確認出来るということに慣れてしまっていたので、「写ルンです」を手渡された僕に妙な緊張感が走りました。
・大切な思い出になるこの写真、失敗するわけにはいかない。
・三人のうち一人でも頭や体が入りきらずに写真からきれてしまうことは許されない。
・目が赤く光ることも許されない。
しかしその場で確認する術はなく、全てはマダムがカメラ屋さんにて現像し終えた時に明らかになるのです。
「ハイチーズ!」も古いと言われるので普段は「ハイチーズ」を飲み込んで「はい撮りま〜す!」と言っていますが、今回は「写ルンです」のフィルムをジジッジジッと巻いた瞬間から、僕の時間は過去に遡り、満面の笑みで構えるマダムに向かい「ハイチーズ!」と声高らかに叫びました。シャッターをきると同時に、あのプラスチックのオモチャのような軽い「カッチャッ」という音、そしてあの感触。ノスタルジックな気分になりました。
それにしても、この「写ルンです」、まだ売っているのかと思ったら、一部ではかなり根強い人気があるそうです!!カメラをむけられても構えなくてよい軽〜い感じが、心地よいのだとか。また昔ながらの粒子の粗さも味があって人気なのだとか。確かに今はテレビも写真もはっきり映り過ぎて、女優さんの毛穴まで見えたりすると怖くなります。一般人は少しくらいボワ〜っとしたくらいが綺麗に見えるに違いない。
古き良き物は今も生き続けます。今や「写真を送る」といえばデータを送るということですが、今頃マダムの一人は写真を現像し焼き増しして、友人に手紙を付けて自宅に郵送していることでしょう。良い思い出になるようにマダム達が美しく撮れていることを祈ります。
そして一言マダム達にお礼を言いたい。
「余裕オーラ溢れる皆さんとお茶出来て光栄でした」と。
さあ、今月も稽古に勤しむとしますかね!
明けましておめでとうございます。
今年も一年よろしくお願いいたします。
お互い刺激しあい、また励まし合いながら、更に前進していきましょう。
2015年はスポーツ界の歴史を変える出来事がたくさんおこりました。スキー葛西紀明選手の最年長表彰台記録更新、体操男子団体の37年ぶり世界選手権金メダル、ラグビー日本代表の大活躍、羽生弓弦選手の世界最高得点。
昔に比べて世界で活躍できる日本人が増えてきました。
その理由のひとつとして、指導法の変化があげられると思います。僕が子供のころは、根性ありきのところがありました。水を飲むなといわれた時代でしたし、ウサギ飛びも健在、部活では失敗した部員に渇という名のビンタがお見舞されるという光景も珍しくはありませんでした。
しかしそれから20年もたつと、以前は当たり前であった練習法が逆効果であるということが多く存在していることがわかってきました。本当は才能があったのに、間違えた指導で夢を諦めた若者も多かったはずです。
我々指導者はそれだけ責任のある仕事であることを忘れずに、常に指導に関してはいろいろなアンテナをはる状態でいる事が常識。
技術だけでも、根性だけでも、理論だけでもダメです。
もちろん強くなるには本人のやる気が欠かせませんし、子供の場合はご家族の協力も欠かせません。
皆様のご協力を仰ぎながら、強く成長する喜び、勝つ喜びを知ってもらえるように全力を尽くしたいと思います。
可能性は無限です。スポーツの記録は次々塗り替えられています。可能性を信じて、決して過信はせず、感謝を忘れず謙虚に日々過ごしていきたいと思います。
プライベートでは空いた時間があればせっせと城巡りをしたいと思います。松前城、岡山城へは是非行きたい。戦国武将のパワーを浴びて、天守にて高笑いをかましながら、天下をとるイメージトレーニングをしたいと思います。
さらに僕のアンテナはスイーツネタにも敏感です。
さらに、今年はあの「ジャニスウォン」が新宿にやってきます!
いや〜楽しみです!
早くあの美しい芸術的なスイーツをこの目で見たい!その前に千駄ヶ谷にいき乳製品&砂糖不使用のアイスクリームを食したいと思います。
つい最近までは、中性的な草食系男子がもてはやされておりました。しかし、ラグビー日本代表が、ラグビーの歴史のみならず、世の女性の意識も変えてくれました!
抱かれたい男性アスリート第一位に、羽生君を抜いてなんと五郎丸選手が!
きっときますっ。きますよ、男臭さがもてはやされる時代がっ!
デオドラントなんざ糞くらえ、汗臭さこそフェロモンの源泉、動けば生命の泉が湧いてくるのです!
これから我々の未来は明るいぞ!
打倒ジャニーズに向けてこれまでも、これからも。
さあ熱い稽古で自分を磨き上げて行きましょう!
いきなりですが押し寿司にはまりました。
バッテラ、笹寿司、鱒寿司、鯖寿司、種類はたくさんありますが、とにかく押し寿司にはまりました。たくさん食べた結果、一番好きなものは「焼鯖寿司」だということが判明しました。
ありがたいことに、毎日どこかのデパートが「食の催事」をやっていますし、全国の駅弁を扱う店もあります。
僕はもともと少食のため、焼き鯖寿司を買っても一本を一度には食べません。外見と同様に可愛く1/3ずつ3日かけて食べます。
3日後には、また新たな焼き鯖寿司を購入していますので、このところほぼ毎日鯖寿司を口にしていました。
人間は、自然と体が欲した物を食べたくなると聞きます。
鯖の栄養は何に効くのか?それがすなわち僕に足りていないものだということで、調べてみました。
鯖はビタミンB群、ビタミンDなどを多く含み、DHAも豊富です。
というわけで疲労回復、眼精疲労、動脈硬化にも効果がありさらにボケ防止によいとのこと。全体的に僕は疲れているのだろうか…自分で実感はないけれど、これだけ体が求めるのだから、そうなのかもしれないですね。
ちなみにシャリの好みですが、お酢がマイルドなもので、ギュッと強く押し固めているものが好きです。鯖とシャリの割合も、1:1.2くらいが好きです。
僕のイチオシ焼鯖寿司は和歌山県の「北畑商店」さんの焼き鯖寿司!
まずは鯖が厚く脂がのっていますが、まったくしつこくない。さらに梅の産地をいかして、ご飯に梅肉が挟まれています。ガリをはさんである焼鯖寿司は無数にありますが、梅肉は珍しい。この梅肉入りのシャリが絶品。さらにはシャリの押し具合がまあ最高!ギュッとかためられ、日本の米の粘りが感じられます。
「北畑商店」さんの催事を探し出し、和歌山県アンテナショップにて再度購入しました。お店の方の話では、東京に常設している店舗はないとの事。しかし、上野松坂屋店に3ヶ月に一度くらい特設で販売するらしいので、これから3ヶ月に一度チェックしていきたいと思います。是非皆さんも見かけたら食べてみてください!
ただ、現在僕が恐れているのは鯖アレルギー…キャパオーバーによりある日突然瞼が腫れ上がり蕁麻疹でまだら模様になるのではないかという青魚によるアレルギーの恐怖を背後にジットリと感じ始めました。何事もやりすぎは禁物。寂しいけれど、鯖寿司ちゃんとは3ヶ月に一度出会うという遠距離恋愛に入る時期かもしれない。
いや…「考えすぎると人間は臆病になる」と何かで読みました。
わからぬ未来を考えるのは止めよう!!鯖を食べ過ぎて鯖と別れるほうが、一度も鯖を食べなかったよりも幸せだっ!
もしもアレルギーが出た時を考えて、一食一食鯖との時間を慈しんで過ごしたいと思います。
という訳で今月も青々とした髭面で頑張ります!!!
皆さんも素敵なクリスマスをお過ごし下さい!
夢を見ました。
時は戦国時代、僕は鎧兜を身に纏い、敵の本丸を見つめていました!もちろん、鎧の上から黒帯を締めることも忘れない!
金カップもしっから装着しておりました。
隣には兜でなくヘットギアを装着した武士もいました。
我が隊は難攻不落と言われている敵の本丸を攻め落とすべく、まだ世が明けぬ暗闇の中で合図を待っていた。空には月もなく、霧が立ちこめておりました。その時、不気味な程の静寂を切り裂くように太鼓の合図が響きました。「せい〜っ!」という地鳴りのような声と馬の蹄の音がいっせいに流れた!
我々軍勢は一気に連郭式城郭の三の丸を突破。二の丸まで攻めいりました。本丸へ続きそうな階段は2つ。しかし僕はその脇に小路を見つけたのです!僕は球技などの団体競技が苦手な性格の現れなのか、仲間と離れたった1人小路へと進んでいきました。
小路は城壁沿いにのびているようでした。城壁は高さ約16メートル。これを越えたならすぐに本丸にいけるであろうその壁はえぐったような激しい弧を描いて美しくそびえ立っていました。
こ、これはっ!この石垣は「清正流」美しい!
僕は一人暗闇にまぎれ感動しながらそっと石垣沿いに進みました。
何となく道が下っているという感覚におちいりました。
坪内流馬術免許皆伝である我が殿 徳川家康が
「危ないところへくると馬から降りて歩く。これが秘伝である」
と言っていたではないか!
僕がゆっくりゆっくり慎重に進みはじめたその時、高い石垣が途切れ僕の目に本丸へと続きそうな門への道が見えました。
しかし、怪しいほど静まり返っているのです。高い石垣の陰から覗くようにして様子を伺いました。門までは下り坂になっており、その周りは高く土が盛り上げられ、土塁のようになっている!
門には無数の狭間があり、そこから敵が鉄砲を構えて狙っているようです。万一飛び出して門まで行けばそこはさながら「枡形構造」一斉射撃を浴びるところでした。危ない危ない、もしも集団で「何も考えるなっ根性でいけ〜!!」と無計画に攻め込んだら最期、全滅させられたに違いない。何も考えず周りに流されるとロクなことがないのは戦国時代も今も変わらない。僕はここでいったん小路を引き返し、二の丸にもどることにしました。
二の丸は既に敵味方入り乱れての闘いとなっておりました。僕はどこから持ってきたのか、特大ミットを盾に矢や玉や石やいろいろなものが入り乱れる中、懸命に本丸をめざしました。なんとか本丸大手門にたどり着くと本丸は敵ながらアッパレと言わざるをえない美しさでした。
黒い板張りに白い漆喰。雪のような白い肌に艶やかな黒髪はまさに日本女性の美の象徴!
5層の天守は攻められてもなお凛として屈する様子もなく気高く荘厳!攻めている僕が魅入られてしまう。しかし美しさとは裏腹に石垣に続く天守からは鋭い銃口が下を向いて突き出ており、よく見ると天守の壁にはおびただしい数の「隠し狭間」が。
綺麗な薔薇には棘がある。
清楚で可憐なのに翻弄されるとカチンとくるものの何とか手にいれたいと思ってしまうのが男の性、城の攻略は男の本能かもしれない!
そう、城攻めこそが男のエロスなのであります。
天守入り口は櫓となっていました。僕は衝車隊の協力を得て重い扉をこじ開けて天守の中へと入りました。天守に勢いよく潜入した僕はいきなり壁に向かい合うことになりました。天守に入ることができたと思いきや、いきなりの壁!天守への口は右手側の階段をのぼらねばならない。僕が右を向いたその時、天守内部に山ほどの鉄砲狭間!すべての銃口が僕を捉えているのがわかりました。
そして一斉に火をふいたっっ!!……と、ここで目が覚めました。
城好きな皆様はお気づきと思いますが、夢の中の城はたぶん松江城、熊本城がミックスされています。録画した「日本の城見聞録SP」を見過ぎたせいです。
夢の中で命をかけている緊張感のせいで、まったく眠った気はせず、昨日の疲れも癒やされた感覚は0ですが、僕としては楽しい夢でした。不思議の国のアリスも目覚めた後、本当はこんな感じだったに違いない。ぐっすり昼寝をしてお姉さんに起こされた時には肩が凝っていたはずです!
夢だけでこれだけ体が強張るのだから、戦国時代の武士の心の負荷は想像がつきません。この時代の平均寿命が短いのは、食事や医療のせいだけでなく、ストレスも関係しているのかもしれない。
今年も残り2ヶ月。少し武士を見習って事を成す際には命がかかっているという気持ちで行動してみようと思います。
空手が東京オリンピックの追加種目候補になりました!
一人の空手ファンとしてはもちろん喜ばしいことです。空手界が盛り上がることを願ってます!
先日はスーパームーンでした。大きく美しい月でした。夜も灯りだらけの東京でこれだけ輝いているのですから、貴族達が月を愛でながら酒を酌み交わした平安時代には、それは神秘的な光景だったことでしょう!どこまでも広がる暗闇に包まれた静寂の中で、月だけが輝く。
池に映る月がまたなんとも雅!そんな家に住みたい。
俗世で言えば男も女も普段以上に美しく見えたはず。
・「真っ白なゲレンデで出会い、その後に街で会ったら違いに驚いた」
・「いつも見るスーツ姿の素敵な部長が私服になったら驚いた」
・「間接照明の灯りで顔を見た後蛍光灯の下で見て驚いた」
・「Barで出会いその後昼間に会って驚いた」等々
……雅な月の下に出会った平安貴族にも多々そんな悲劇にみまわれたことでしょう。
話は変わりますが、先日電車に乗り、入り口に一番近くの座席に座りました。しばらくすると少し腰がまがった70歳くらいの小柄な白髪のご婦人がヨロヨロと手押し車を押して乗ってきました。当然僕は
「どうぞどうぞ」
と席を譲ろうと立ち上がりましたが、ご婦人は
「すぐ降りるからいいのよ」
と言う…でもこんな時こんなやり取りは一度くらいあるものですから、僕も「いや、僕もすぐですから!」
と、決してすぐ降りるわけでもないが、ご婦人に言いました。それでも
「いいのいいの、すぐ降りるんだから貴方が座っていなさい!」と…
確かに膝を曲げたり伸ばしたりが痛い場合もありますから、少しの距離なら「イタタタ」と言いながら座り「イタタタ」と言いながら立つよりも、同じ姿勢で手押し車に体重をあずけていた方が楽かもしれないし、まさか抱えて無理やり座らせるわけにもいかないし、気まずくて自分も立ってどこかにいくのも変だし。
譲ろうと立ったものの譲ろうとした相手に断られ、譲った人もなぜかその場から離れて混んでいるのに空席にができるのを目にしたことはありませんか?近くの人もそのやり取りを見ていて当事者がそばにいるので何となく空いていても座りづらい。
優しさから生まれたこのブラックシートは、結局タブーのように誰も座らず、次の駅で何も知らずに乗ってきたおば様が座ることで浄化されて、ようやく元通りのシートに戻るのです。
という風景に疑問を感じていたので、僕はそのまま白髪のご婦人に促されて、再び座席に腰をおろしました。
次の駅でご婦人はまだ降りず、新たな乗客がドヤドヤと乗ってきた。
僕の心はこの瞬間からザワザワし始めます。混雑する電車内、ドアの脇に手押し車の弱々しい白髪の腰が曲がったご婦人が立っているそのすぐ横に、黙って座るヒゲの僕。
もともと電車に乗っていて僕とご婦人のやり取りを知っている人はよいのです。しかし、そのやりとりを知らない新しく乗ってきた乗客からみたら、僕は今人でなしに見えているに違いない!
僕は決して病弱にはみえず、未熟な若者でもなく、年配で疲れているわけではなく、明らかに分別のつく働き盛りの大人の男…心の中で「おばあさんがいるのに…譲らないなんて最低…」と思われたままに違いない。
そして僕に弁解の余地はない…
こうなるなら、いっそ席を立った方が気は楽かもしれない。人でなしのレッテルをはられるくらいなら、俺は立つ!妊婦さんがつける「妊娠しています」マークのように、席を譲らなくて良いですよと思うお年寄りは「まだまだイケます!座らなくても大丈夫!」マークをつけてくれないかな〜と思いながら、立ち上がろとしたそのとき、ちょうど到着した次の駅でご婦人は降りていきました。
そして僕の心には「まだまだ僕も小さいな…」という、もの悲しい秋の風が吹いておりました。今年もあと3ヶ月!
秋月に負けない気持ちでで稽古に励んでいきたいと思います。
いきなり秋になりました。衣替えが大変
…といいたいところですが、毎日道着ですからさしたる支障はありません。
先日、ふと「フランケンシュタインを作った博士の名前ってなんだったかな?」と調べて驚きました。
あのツギハギの怪物は「フランケンシュタイン」ではなく、ツギハギの怪物を作った博士がフランケンシュタイン博士。僕が今までフランケンシュタインと呼んでいたツギハギの怪物は、本の中で「モンスター」としかいわれないことが判明!
アニメ「怪物くん」の影響のせいで、完全に間違っていました。
ストーリーも子供の時に読んだきりでしたので、「怪物が次々に人を殺す怖い話」としか思い出せなかったのですが、本当は「フランケンシュタイン博士に作り出されてしまった怪物が、博士にも捨てられ、伴侶だけ作ってくれという願いも断られ、復讐のために博士の大切な人を殺していく」という、読めば切なく悲しい話でした。
数日前には、子供の頃読んだ芥川龍之介の「地獄変」に関して驚かされました。偏屈な絵師の話だったよな〜としか覚えていなかったのですが、今読み返すと凄まじい話でした。
ものすごく簡単にいえば
地獄絵図をかけと命じられた画師は、焼かれて悶え苦しむ女を描くために焼き殺される女が見たいと大殿様に頼む。
大殿様は了承し、女の乗った牛車に火が放たれる。
しかし生きたま焼かれ悶え苦しむ女は画師の愛娘だった。
という何ともゾワゾワっとくる話でした。画師は取り付かれたように焼かれ悶え苦しむ娘を見ながら地獄絵図を完成させますが、その後自殺してしまうのです。
子供の頃とはいえ、なぜこんなにインパクトのある話を読んでおいて覚えていないのか…それが非常にショックでした。
きっと、本を味わうよりも、「子供なのに芥川龍之介を読んでいる自分」に満足していたのかもしれません。だいたいあの文体を子供の自分が深く理解して読めるとも思えません。本を本当に楽しむより「読んだ」という事実が欲しかった可能性大です。興味を持ってやらないと、実にはならないものですね。
読書の秋です。昔読んだ名作を改めて読み直したいと思います。
経験を積んだ分だけ昔とは違う感じ方をするはずです。変わらなかったら、「俺の人生薄いな〜…」と反省して、気合いを入れ直したいと思います。
暑い夏、連日かき氷屋さんに行列ができているようですが、僕のガラスの胃腸には冷たすぎる。
そんな僕の夏の癒やしは「あんみつ」です。
もともとは芋羊羹で有名な「舟和」さんの「みつ豆」が始まりで、そこから「あんみつ」や「クリームあんみつ」に枝分かれしたようですが、僕にはそのあたりのこだわりはなく、気分によって変わります。といってもお店に食べにいく時間もないのでたいていデパートで買って帰り楽しんでいます。
寒天の歯触り、これが大切です。
半透明のツヤツヤの肌を、そっと優しく噛んだときに、若々しく跳ね返しすぎてもいけない、おじさんはびっくりしてしまいます。
かといって、なんの手応えもなくズブリっと崩れても悲しい。適度なプリッという弾力で僕の中に崩れ落ちてくれたら嬉しい!
こじはるのマシュマロBODYように。
熱く語りますが寒天の話です!
というわけで、「鶴屋吉信」さんのあんみつが好みです。寒天の歯触りが最高です。食欲がないとき、冷やしたあんみつに少しアイスをのせて癒されてます!
また最近は「梅園」さんの「黄粉みつ豆」にもはまりました。黄粉をまぶした豆入りの求肥を寒天にのせ付属の黄粉と黒蜜を全て投入。求肥のまわりの黄粉に寒天の水分と黒蜜がしみこみ、ネットリしながら細かいザラっという舌触りが、子供の頃お餅に砂糖醤油をつけて食べた感覚に似ていて気に入ってます。まだまだ猛暑が続きます。あんみつで癒されながら頑張っていきたいと思います。
甲子園も開幕ですね!去年も書いた記憶がありますが、涙涙の毎日になりそうです。頑張っている球児の後ろにはそれをサポートする親御さんがいる。
毎日早くからお弁当を作り朝練に送り出し、小さい頃から休みの度に試合に付き添ったに違いない。さらに有名校では活躍している子より、三年間レギュラーになれなくても頑張り続けた選手の方が多いのです。スポーツは毎日の努力の積み重ねであるのは身をもって知っていますし、それをサポートする親御さんにも頭が下がります。そしてそのサポートを苦にせず何年も支えている親の愛情にも感動します。とにかく、スポーツに一生懸命取り組む姿には全て感動を覚えます。
人生一度きりです。暑い夏に負けないくらい、熱く生きる人生を選びます 。
さあ今日もあんみつ食べて頑張っていきましょう!
七月といえば七夕。七夕の伝説を覚えてますか?年に一度しか会えない織姫と彦星の話…とざっくりとしか思い出せなかったので調べてみました。
天帝の娘である織姫は機織りが大好きで女性でありながら身なりも構わず機織りばかり。これを可哀想に思った天帝は、その恋人を探します。
で、見つけたのが真面目に働く牛飼いの彦星。二人をお見合いさせたところ最初から意気投合。
めでたく夫婦となりますが、あれほど働き者だった二人は二人で遊びほうけ、全然仕事をしなくなるのです。怒った天帝は、二人を引き離します。
*働かない彦星イメージ
すると今度は織姫はないてばかりで働かず、彦星も悲しみのあまり家に引きもって仕事をしない。
そこで天帝は言います。
「一年間真面目にコツコツ働いたら、年に一回会ってもいいよ!」
というわけで、7月7日は真面目に一年頑張った織り姫と彦星が会うことが出来る日なのです。
僕が子供の頃、親父が「そんな笹どこから採ってきちゃったんだろう…風貌は山賊だけど、実は本当に山賊?」というくらいの大きな笹を用意し、僕たち兄弟は折り紙で飾りをつくり、短冊にお願いを書いて笹につけました。
日本で広まったのは江戸時代。寺子屋で学業成就の願いを込めたらしいのですが、今は様々な願いを書きますね。
今年は僕も公園や駅に飾られる笹に、短冊を書こうかな?
さあここで悩んだのは短冊に何を書くかです。
小さい頃はきっと「ウルトラマンになりたい」とか「ゲームボーイが買ってもらえますように」という可愛い願いを、素直に書いたと思います。
しかし、大人の今、人目にふれる短冊を一枚渡されたら、果たして何を願おうか、非常に悩みます。
指導者としての目標も山ほどあるし、自分の健康も気になる、いや正直いえば老後の安心も欲しいなあ(笑)
最近1日休むことなんてないから、1日のんびりする時間がほしいなあとか、現存天守制覇の夢がかないますように、とか、とにかく大きなものから、「俺は小さいな…」と思わされるささやかな願いまで様々。子供の頃に比べて実に人間くさいリアルな願いが!
しかし、この一つだけ書けといわれた「願い事」に、その人の生き様がでるように思います。
将来に明確な目標があれば、「○○になる!」と書くでしょうし、中には「手術が成功しますように」というような切実なものもあるでしょう。「景気が上がりますように」という経済を反映した願いもあるでしょう。自分のことよりも家族全体の幸せを願う親御さんも多いはず。
一番悲しいのは、妬み嫉みに満ちた心でしょう。誰かを貶めるような願いが万一浮かんだ人がいたら、本当に悲しいことです。そんな卑しい心は道場に通って清めましょう!
さあもうすぐ七夕です。自分を見つめる意味でも、真剣に一つだけ願い事を書いてみようと思います。僕はいくつもあるので書き出して優先順位をつけてみても面白い。自分のベクトルがどこに向いているか知る意味でも、年に一度自分の願いを整理整頓するのもよいものです。
ちなみに願いの種類によって短冊の色が変わそうです。
緑…徳を積む・人間力を高める
赤…父母や祖先への感謝
黄…信頼・知人、友人を大切にする
白…義務や決まりを守る
黒…学業向上
この五色ですが、なかなか難しいですね。仕事の願いは?健康に関しての願いは?何かが欲しいという願いは?なんとなく、「これにちかいかな…?」という自分の感覚に頼るしかないですね。
今年は七夕の日に、神頼みではなく神様への努力宣言として短冊を飾りたいと思います。
ただいま六本木ヒルズにてスターウォーズ展が開催されております。
しかし、僕はスターウォーズをしっかり観たことがありません。僕の大きな一重眼はスターウォーズのその先、更に未来を見つめています。
そう、それは「機動戦士ガンダム展」
機動戦士ガンダムをよく知らない方に簡単にガンダムの説明を。
機動戦士ガンダムは45年ほど前に初めて放映されたアニメです。
単にロボットが闘うアニメというなかれ!
不条理な戦争の中に人間くさいキャラクターが溢れているのです。
味方の中にも卑怯な人間がたくさんいる、敵の中にも筋の通った魅力的な人間がたくさんいる、何が善で何が悪かという境界線がなく、戦いがリアルなのです。
子供の頃に観ても深くは理解できないのです。大人になって、初めてガンダムの凄さがわかります!
舞台は「宇宙世紀」とよばれる未来の世界。
地球は統一され地球連邦政府が発足されます。人口は100億を越え、政府は増えすぎた人口を宇宙に移動させるため、スペースコロニーとよばれる大きな居住空間を建設します。
このスペースコロニーを数十基同じ空域に集め、このスペースコロニー群を「サイド」とよびました。ガンダムではこのサイドが1〜7まで登場します。
地球を中心にサイドが存在し、地球連邦政府は地球の人口を減らすべくこのサイドに移民させるのです。地球には20億人が住み、宇宙には90億人が住む。
しかし、地球連邦政府や高官達は地球に住み、宇宙のサイドを支配し続ける。
こんな状況をよしとしないサイドがでてきます。それがサイド3。
サイド3は「ジオン・ズム・ダイクン」を中心に政府を打ち立て、外交交渉により平和的に自立しようとする。しかし、こうなるとサイド3内にもっと過激な人間が出てきます。
「完全な独立を目指し、そのためには武力行使も辞さない」
これが「デギン・ザビ」という人物。今でいうISISのような連中です。
一方、外交交渉の結果、地球連邦政府は独立にNOを突きつけます。これを機にデギン・ザビはジオン・ズム・ダイクンを暗殺。
二代目のサイド3の首相となります。
さあ、何か起こりそうな匂いがしてきましたね。
サイド3は「ジオン公国」となり、
「我々こそがエリートだ!我々こそが地球を支配すべきだ!」
と言い出す。
と同時に研究者を受け入れていたジオン公国には技術力があり、地球連邦軍にはない新兵器を作り出しました。
選ばれし者だと主張する者が武力を手に入れた!これで戦争が起こらないはずがない!
こうして「ジオン公国」対「地球連邦軍」との独立戦争が起こります!!
これだけ長く話してきましたが、ここまでが、ガンダム一年戦争のアニメに至る基礎情報です…
いや〜懐かしい。振り返りながらテンションが上がってきました。
しかし、うっすら恐怖を感じます。なぜなら、いつか現実に起こりそうな気がしてしまうからです。
ガンダム開始の頃、現実の地球の人口は40億人でしたが今現在72億人。2050年には96億人とも予想されています。地球に人が溢れ資源が足らなくなる日も近い。環境が破壊し尽くされる日も近い。
兵器に関しても最新兵器をググってみてください。まさに「モビルスーツ」といえるような物も開発されていますし、核を使わず核爆弾に匹敵するようなものも開発されています。
僕が20歳くらいの時、携帯電話は大きく重かった。今のコピーやFAXがついた固定電話より大きくて重かったのです。それが20年で今の携帯、さらにはスマホになりました。
技術はどんどん進歩します。宇宙に住むことも資金さえあれば可能にできるでしょう。
しかし人間は進歩しない。今もあちこちで戦争が現実に起きています。自分の意見が絶対で、それ以外は全て敵だと考える人々もたくさんいる。
一方で技術力はどんどん延びていく。戦争で儲けたい人間もたくさんいることでしょう。戦争を煽る人間もいるのです。
戦争で犠牲になるのは弱い一般市民です。ガンダムでもそうです。
地球連邦軍のお偉方は安全な場所で会議。
前線で頑張る主人公アムロ君達ホワイトベースのクルーはみな子供達です。
「ぶったね!オヤジにもぶたれたことないのに〜!」
のアムロ君は15歳。
「殴って何が悪い」のブライトは19歳。
ちなみに赤い彗星のシャアは20歳。
バーで酒を片手に「坊や、だからさ」と言い放ったシャアは20歳…立ち居振る舞いが素敵過ぎてすっかり僕より年上かと…まあ…実際の戦争でも、今起きている紛争でも少年兵は多いのだから不自然ではありませんが。
そのうち遺伝子操作も簡単な時代になれば、「ガンダムSEED」のように自然に産まれたナチュラルVS遺伝子操作により優れた能力を手に入れて産まれたコーディネーターの間で争いが起こる可能性だってあります。
最近の世界情勢をみると、ガンダムの中に、そう遠くない未来の戦争をみてしまい、少し怖くなります。
そうはいっても、ガンダム展は非常に楽しみです!ちなみに僕は「ランバ・ラル」が大好きです。「ザクとは違うのだよ、ザクとは」でおなじみのランバ・ラル。
草食系が多い現代に復活させたい昭和の香り漂うオヤジです。
愛人ハモンさんを戦場に伴い、
「わしの出世は部下達の生活の安定につながる、お前のためでもある」と言い放つ。
…渋いっ!渋すぎるっ!
そして潔い最後には大西中将を髣髴とさせるものがあります。
部下からの慕われ方をみても人間としての器の大きさがよくわかります。男気溢れるその姿、惚れ惚れします。軍服も似合いますが、空手の道着はさらに似合うはず!
ガンダム展…楽しみです。僕が稽古中に、試合中に、
「当たらなければどうということはない!」とか、
顔面に一撃くらっても
「まだだっ!たかがメインカメラをやられただけだっ」
と叫びだしたら、遠慮なく注意してください。
今回の月記、ガンダムを全く知らない方々には、わけがわからなかったことと思います。申し訳ありませんでした。しかし、見たことない方は是非見ていただきたい!TSUTAYAに行ったら必ず貴方もガンダムコーナーに足を運びますよ!
これだけ6月の月記で熱く語りましたが、ガンダム展は7月18日からです(笑)
開催場所は六本木ヒルズです。なぜ東京都23区のサイド3こと北区で開催しないのか全くもって理解出来ません。場所だって赤羽会館とか、王子の北とぴあがあるのに!
黙って六本木ヒルズに出かけてきます(笑)
世間ではGWが始まりました。GWの始まりと終わりには交通機関のラッシュがやってきます。最近は事故や停電が続きましたので、いつも以上に混雑するこの期間に何事もないことを祈っています。
少し前ですが山手線が止まったことがあり、僕は足留めをくらいました。たまたま時間に余裕があったのでのんびり待つことができましたが、仕事先に急ぐ方々はあちこちに電話したりして大変そうでした。人身事故とのことでしたが、これだけ多くの人達の時間を無駄にして迷惑をかけるのだから、自殺だとか、携帯を見ていてホームに落ちたとか、酔っ払って転落とか、そんな理由だったら許されるべきではないのかもなと思いながら待っていました。
一時間くらいは待った頃でしょうか。女性車掌のアナウンスがあり「電車遅れましてもうしわけありません。安全の確認がとれたとのことで、順次運転を再開いたします。もうしばらくお待ちください」というようなアナウンスだったと思いますが、びっくりするような涙声でした。明らかに泣きながらのアナウンス。近くにいた女子高生が「泣いてない?これ泣いてるよね〜!」と驚いていました。間違いなく泣いている。
理由はたぶん、電車が遅れたイライラを女性車掌に当たり散らした輩がいたからでしょう。日頃からの不満までぶつけるかのように駅員に怒鳴り散らす大人もたまに見かけますから、きっと泣くまで文句を言われたのではないかと思いました。しかし、もし、この女性車掌が、180cm以上あるガタイの良いスキンヘッドの男で、そこに居るだけで周りを威圧するような猛者だったら、果たして激しいクレームは受けたでしょうか。
「強い者に弱く、弱い者に強い」
これは恥ずべき事だと思いますが、動物の本能でもあります。
人間は学んで成長することで大脳新皮質が本能を司る部分を覆うように発達し、自分の本能に基づく感情をコントロールしていくのです。大脳新皮質が薄っぺらくてスカスカの誰かが、イライラを抑えられずに女性車掌に当たり散らしたに違いない!
そんな本能に左右される弱い奴だからこそ、もしも明らかに自分より強い車掌であれば、遠くから睨むのが精一杯に違いない!
思い出しましたが以前痴漢騒ぎを目撃したことがありました。痴漢したらしい男性も取り押さえている男性も、どちらも180センチはある重量級!立派なガタイでした。
そこに、メガネの小柄な駅員さん達がワラワラっと4人ほど集まってきたのですが、みなヒョロっと細くてか弱い…かなり若いので、駅員さんになりたてかな?という感じでした。
電車が好きな感じはよく伝わりましたが…猛者が猛者を取り押さえる周りで、ケンカをしたことも無いであろう華奢な新米駅員さん達はフワフワした感じで取り巻いていましたので、僕は助っ人に入ろうかと電車をおりようとした矢先に、痴漢は観念したようで猛者に連れられていきました。
ちなみに3年ほど前でしょうか、埼京線にて痴漢を捕まえた事もありました。
その時は犯人が腰を抜かしてしまい電車から引きずり出したのですが、駆け付けてくれた駅員さんは中年デブでした(笑)
これらをふまえての提案ですが、駅員さんにも「用心棒枠」のようなものを設けたらどうでしょう!
我々のような武道業界や日体大、国士舘などから広く猛者達を募集する!
警官か、はたまたALSOKかと見紛う眼光鋭く圧迫感が暑苦しいくらいの駅員さんが、混雑する駅に数人いるだけで、他の駅員さん自身の安全も確保されると思うのですが。
首から肩のラインが明らかに一般人ではなく、腕は太くてパンパンで上半身は制服もピチピチ、
いやもう制服柄プリントのピチTで良い。
駅の乗務員鍛錬室からは、絶えず竹刀の音や受け身の音、サンドバックを叩く音や、「やーっ」「うぉ〜」「せいっ」などの気合いがみなぎり、見事にパンプアップした車掌達が運転席へと向かう。たまにうっかり頭にムエタイのモンコンをつけたままの車掌さんや手にサポーターをつけたまま運転席でハンドルを握って「あ、いけねっ!」とはずす車掌さんがいても、それもよし。
東京オリンピックもやってきます。人が増えれば何か問題も増えるのが常。
抑止力としての用心棒車掌採用計画…鉄道、航空関連 人事の皆様よろしくご検討ください。大手企業に就職まで斡旋できる道場なんて斬新!
岩田道場出身の強くて優しい駅員さんが飛び立つ日を夢見て、今月も稽古に励んでいきたいと思います!
4月です。
新学期を迎えたり、入学を迎えたり、または社会人としてスタートをきる方もいるでしょう。
気持ちを新たに、頑張っていきましょう!
僕は環境は変わりませんが、子供達の成長を見て気が引き締まります。
僕の顔をみるなり
「い〜や〜だあ〜!!帰るっ帰りたいっ!」
と暴れて脱走を試みていた子がもう高学年になったのか…とか、稽古中に「マ〜マ〜」と号泣していた子がずいぶんお兄ちゃんになったな…とか、超音波のような声で騒いでいた子が、ふと気付くと野太い声で
「押忍!高校生になりました!」
などと言われると、非常に嬉しい!
よしっ子供達の成長に負けないくらい僕も成長する一年にしよう!!と思うわけです。
さあ、時代を乗り切っていく心と身体の強さを身に付け、自分の力で未来を切り開いていく筋の通った男になっていこうではないかっ!
男性ホルモン全開でいこうではないかっ!と熱く語る僕に時代の流れと共に暗雲が立ち込め、高い壁がそびえ立っていることに気付きました。
なんと「思っている以上に男性の脱毛」が増えているらしい。
確かに男性用スキンケア商品は昔よりはるかに目にしますし、電車でも爽やかな風をまとった男性が多くなっていることにも気付いていました。
知人の奥様がお肌のケアに通っているのですが、なにやら顔にバチンバチンと光を照射、産毛やシミが多いところはかなり痛いらしいのですが、ヒゲの脱毛に通う男性も増えているそうで、その場合あまりに痛がる場合は塗る麻酔をしての施術をすることもあるらしい。
はたして男性の脱毛は本当に流行っているのか?と検索してみたところ、なんとアンダーヘアの脱毛サロンが結構出てくるではないですか!
さらに追い討ちをかけるように、なんと朝ニュース番組で男性の脱毛が取り上げられ、アンダーヘアを脱毛する様子がながれました。下半身はあられもない姿になり、無防備にもパカッと足を開き、男性エステティシャンが覗きこむようにしてレーザーを照射………僕は的場浩司ばりに「まじかっ!」と叫びました。
海外のサッカー選手は脱毛が当たり前とは聞きます。擦れたり蒸れたりして集中力をきらしたくないというのはわかる、水泳選手やマラソン選手が少しでも抵抗を減らそうと脱毛するのもわかる。
しかし、まさか一般男性もアンダーヘアまで処理する時代だとは。
いったい毛が何をしたんだ!
すね毛や胸毛もわかります。爽やかな男性を好む女性のほうが圧倒的に多いと思いますし、営業マンだってワイシャツの袖からモジャモジャがはみ出して暑苦しいよりスベスベで爽やかなほうが良い。毛量に反比例して契約数も増える気がします。
先の奥様も「息子のすね毛も脱毛したい」とおっしゃっていたそうで、その理由は「部屋に抜け落ちるから」だそうです。
ソファーのカバーに中途半端な長さの抜け毛がある時期から増え始め、髪の毛ではない…しかし睫毛よりは長い…そうはいってもアンダーヘアでもない……いったいこの数多くの不思議な長さの抜け毛はなんだろうか???と疑問に感じながら過ごしていたある日、ソファーでゴロゴロしている息子の脚をみて気づいたらしい。「正体は息子の脚からの抜け毛かっ!」そうかあ、無駄に多いすね毛は主婦の敵なのか…そう考えると、まあすね毛はわかるとして、男性のアンダーヘア脱毛に関してはかなり衝撃をうけたのでした。
海外では普通ともいわれるアンダーヘアの処理ですが、カットが多いらしい。とすると気になるのは毛の質。大まかにいうと白色人種のほうが黄色人種より毛が細くて軽くウェーブしているという特徴があるそうなので、日本人の毛質はカットには適さない。チクチクして仕方ないはず。やるときはやはりサロンだな…
アンダーヘアの処理など考えたこともありませんし、まわりから指摘されたこともありませんから、まあ僕には縁のない話ではありますが、もしどなたかされている男性がいらっしゃいましたら、他言はいたしませんので是非そのメリットデメリットをそっと教えてください。なんにせよ、場所はどこであれ、せっかく生えている黒い毛を自ら落としてしまうなんて、なんてもったいないことを…と。
限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心短き 春の山風
織田信長の婿でお馴染みの蒲生氏郷公 辞世の句です。氏郷公が亡くなったのは春を迎える季節でした。「春の山風」に生を諦めざるをえない無念さが感じられ、心にグッとくる句です。
風に散りゆく桜をみながら少しセンチな気分になったのですが、水道橋博士が「加圧トレーニングを行って髪の毛が増えた」と書籍に書いておりましたので、一縷の希望を加圧トレーニングにかけて全身全霊で髪の毛増量・・・・・いや、自分の稽古に臨みたいと思います!
それでは、また来月までSee You!
最近は嫌なニュースが続きました。
川崎の少年のニュースは耳にする度吐き気がするほど怒りを覚えます。ご遺族だけでなく、友人達も「何とかできなかったのか…」と自分を責め続けてしまう大きな傷を負わされてしまったでしょう。
その一方、加害者は反省の前にいかに罪を軽く逃れるかばかりを考えているのではないかと思うと、やりきれない。
こうして考えるだけでも怒りで震えてきます。
少年への教育や法律など、いろいろ真剣に考えるべき時だと思います。犯罪者に対しての精神鑑定、少年法による減刑などは不要なのではないでしょうか。
僕も子供達に関わる者として、いつもと違う子供の小さなサインを見落とさないようにしたいと改めて思いました。
子供は親に心配かけまいと、何かあっても家では普通に振る舞ったりします。
相談室を設けてもなかなか打ち明けなかったりするそうですが、一方何気ない触れ合いの中でポロリと不安を呟いたりします。そうしたSOSを見逃さず、微力ながら子供達の成長に寄り添っていきたいと思います。
この事件以来何となく心が重いままです。事件の全貌が明らかになってくるにつれ、よりいっそう悲しみが強くなります。
さて、少し話題を変えて
…もう3月です。3月3日は雛祭り&耳の日ですね。
といっても、圧倒的に男に囲まれた毎日ですから、3月3日の雛祭りも、猛者達に囲まれて男くさい汗を流します。
もともと魚介類が苦手なのでちらし寿司も蛤のお吸い物もダメですが、せめて「ひなあられ」くらいはつまもうかな。この「ひなあられ」関東と関西で違うらしい。
関東はいわゆる甘いポン菓子で関西はうるち米を使ったしょっぱい、または甘辛いものだそうです。僕は北海道ですが、実家では大小混ざった粒の砂糖がかかった甘いポン菓子でした。
デパ地下にも各店舗ひなあられをだしてますが、あれは店の本店の位置によって味が違ったりするのかな…来年の3月には報告出来るようリサーチしてみます。
とうとう、東京も少し雪が積もりました。
そういえば去年の2月はすごかったですね、10年に一度の大雪と言われましたからね。
今年は去年ほどではないと言われていますが、最近何が起こるかわかりませんから、ゴツイ長靴でも買いに行こうかと思います。
さて、この寒い冬、僕がフーフーしながら好んで飲んでいるのが懐かしの「葛湯」です。
熱い稽古で男の汗にまみれ、男の熱気に蒸らされて、全てを出しつくした僕を、ツヤツヤプルンとしたあの柔肌の温かい葛湯君が癒やしてくれるのです。
名前を付けるとするならば、
「心桜(こころ)、莉琉(まりる)、結愛(ゆあ)…2014年人気の名前より」ではなく、
「千代、久子、ハル…明治・大正時代人気名前より」といった感じでしょうか。
しかし古いなどとは言わせません!
葛の歴史は2200年前の中国までさかのぼります。すでに薬として使われていたそうです。ここまで古いと一本筋が通っていておしゃれ感が漂います。日本では1300年前に薬用として用いた記録が残っていて、盛んに使われるのは明治時代からです。
中国の光武帝、または聖武天皇、もしかしたら道鏡だって、咳き込みながら葛を口にしていたかもしれないと考えると、葛湯にロマンを感じます!まあ昔は「葛湯」として口にしていたわけではないですが、同じ「葛」ということでご容赦ください。
葛の効能は素晴らしい!血行を良くし、免疫を高め、腸の働きを整え、鎮痛効果もあり、肝臓の働きを助け、目や鼻にも、高血圧にもよい等々万能すぎる!家康も病床で口にしただけのことはある!
しかし、僕はある問題に気づいた。
これは「葛」に関しての効能であり「葛湯と書きながら葛を使ってないものもたくさんある」のです。不安になって、今手元にある数種類の葛湯の原材料を見直してみると、葛粉は少しで、でん粉や片栗粉を多くまぜてあるものがほとんどで、本葛粉100%はデパートで買ったお高い葛湯だけ
……病床の家康が飲んだのはもちろん葛粉100%の葛湯だろうなあ。でないと薬の意味がない。本年は徳川家康公没後400年。本年は静岡三川と日光東照宮に行き、家康公の息吹を存分に感じて参りたいと思います。
僕も男だ!本物を求めて時間があればデパ地下散策してみたいと思います。
そのうち道場で本葛を使って自らプロテイン葛湯を愛おしそうに作る僕を見かける日も近いでしょ。
最近僕の心に深く刻まれ、忘れたくても忘れられない話があります。
それは「はだかでばネズミ」についての話です。その名前も「あまりにひどいのでは…」と同情してしまいますが、その「はだかでばネズミ」の掟に衝撃を受けました。
はだかでばネズミは地下に穴を掘って集団で生活をします。厳しい階級社会になっており、上から下まで順位づけがされています。さて、このはだかでばネズミ、巣穴に天敵の蛇が入ってきたときどうするか。
なんと、階級が一番下のネズミを蛇の前に一人残し、その状態で他のネズミ達は巣穴を塞ぐのです。
チロチロ舌を出し近づいてくる蛇。組織の末端にいるネズミは震えながら立ち尽くすばかり。逃げもせず暴れもしない。脅えながらも仲間のために命を投げ出すのです。その後ろでは仲間達がせっせせっせと猛スピードで土を積み上げ壁を作っていく。
そうなんです、関ヶ原合戦「島津の退き口」がごとく「捨て奸」を行うのです。
そして蛇が生け贄のネズミを食べ始めるころ、巣穴に壁を作りおえた仲間達は一目散に逃げていく…なんと残酷な?
「汝、事を非難することなかれ」
しかし、これがはだかでばネズミが子孫を絶やさぬための方法なんです。
遺伝子に組み込まれ、本能的に行動しているのでしょうが、怖いものは怖い、痛いものは痛い、悲しいものは悲しい…これが天命だと受け入れようとしても僕には受け入れられる気がしない。僕だったら食べられるとわかっていても、命ある限りは闘いたい!勝てなくてもせめて蛇の体に僕の生きた証くらいは刻みたい?中にはそんなネズミも存在してくれたら嬉しい。
結論としては、はだかでばネズミに生まれなくて良かった。その一言に尽きます。
しかし、人間だって、昔は似たようなことをしていたはずです。
数年前に博物館で、生け贄となった子供のミイラをみました。たしか「マヤ文明」だったと記憶してます。神様への願いと引き換えに、生け贄を差し出すのです。近年の研究で、見つかったミイラの毛髪から生け贄として亡くなる前の状況が解明されてきました。しばらく栄養価の高い食事を与えられ、それから薬物が与えられ、亡くなる直前は薬物の量がグンと増え薬漬けの状態だったということで、恐怖を感じながらの死ではなかったことが救いです。
また日本全国に人柱の伝説も多く残されています。遥か昔は天災など困難に直面した時に、神に願いを叶えてもらうのと引き換えに、人間の側も、一番大切な命をさしだしたのですね。
今から考えれば信じらるませんが、当時は皆がそれを疑問に思わなかった。当時の環境て、天災は神の怒りだと考えても仕方ない状況です。
常識は状況によって変化しますが、「命はかけがえのないものだ」という一点がぶれなければ、世界ももう少し平和なのにと思ってしまいます。
と同時に、「鴻毛が如し」という心境も理解が出来ます。
関ヶ原で首謀者として処刑された石田三成は斬首される直前まで身を労わったとの逸話があります。
「大志あるものは命を粗末にしない」という事なのですが、現代での教訓に活かすとするならば「命は大切に燃やし続けよ」という事になるのでしょうか。
どのみち生きるのならば この命 燃やし続けてくれようではないか!
と、はだかでばネズミから学んだ12月初句でした!
ハロウィンも終わり、11月となりました。
日本のハロウィンは熱かったとか。
海外では子供のイベントであるハロウィンを日本では大人が楽しんでいるということで、海外から楽しみに訪れる人もいるとのこと。そういえば今年はやけに不思議な方々を目にしました。昼間の池袋でも、「家を出るとき親に叱られなかったかなあ」と心配してしまう格好の若い子もチラホラ目撃しましたし、先日はベビーカーをおした親子連れのお父さんお母さんの頬が耳から顎までザックリ切れて血が出てるので思わずのけぞりましたが、特殊メイクとわかり安心しました。ハロウィンの日にやっていただけたら良いのですが、全然関係ない日であるうえに、夜の渋谷や六本木のように仮装人が溢れているわけではない昼間の池袋ですからそれはびっくりさせられました。
話は変わりますが、「黄金展」に参加して来ましたが、農耕民気質の僕、秀吉の金の茶室…絶対落ち着きません…茶道のワビサビは微塵もなく、成り上がり感に溢れているようで、非常に落ち着かない…千利休は秀吉の金の茶室プロジェクトにやはり嫌々携わったに違いない〜などと考えながら金色に輝く椀で抹茶を金のエネルギーに押し潰されながらいただきました。
樹齢何百年などという木には、むやみやたらに触れては行けないと聞いたことがあります。それほどの樹木は人よりはるかにパワーがあるため、弱い人間のほうがパワーを吸いとられるそうです。黄金展でも係の方に「五億円の金塊に触れるのは最後にした方がよいですよ」と言われました。なぜなら、あまりに金塊のパワーが強いのでこちらのパワーを吸い取られる感じになるらしい。だから、小さい金の展示物から少しずつパワーを貰い最後に大きな金塊に触れて、小さな金達からいただいたパワーを少しお返しすると考えたほうが疲れないと。
恐らく、金だらけの茶室はエネルギーが強すぎて、落ち着かないんでしょう…秀吉は叩き上げ魂がギラついていて金よりパワーが強いから金の茶室でも穏やかでいられたのかなあ〜
考えてみれば、武士は小さい頃からやるかやられるかの世界で毎日を命がけで生きているわけで、その中でも秀吉は農民(今では地侍クラスであったとの研究も。当時の村には若衆といわれる武力部門もありましたから秀吉もその類出身なんでしょうね)から天下をとるまで昇りつめたわけですから、これはもう凄いエネルギーです。
命と人権は保証されているものだと思っていられる現代とは「生きるパワー」は桁違い。
だとしたら、秀吉の茶室は「成金の悪趣味」と酷評されますが、金ピカピカに囲まれても居心地よく感じるだけのパワーを秀吉が持っていたという…優しい見方もできます。
ただ照明も今とは違いますから、昔の暗〜いボワっとした明かりだけで照らされる金ピカピカの部屋は、嫌みなまでに権力を見せつけるようなピッカピカの金色ではなかったかもしれませんね。派手に光るのではなく、かなり抑えた鈍い光になっていたかも。荘厳な輝きであったのではないか……と、日本橋のコレド室町にて、金沢の金箔の小部屋なるものに入って感じました。
今年も残すところあと2ヶ月となりました。金にも負けない輝きを頭皮以外から放つ男を目指して精進していきたいと思います!
しかし江田島塾長を目指す僕としては頭皮からも光を放ちたい。悩ましい事であります。
なにはともあれ摩耗し過ぎないように気を付けながら今後も自分を磨いて行きたいと思います。一緒に自分磨きを楽しみたいというアナタ、そうアナタ!
今すぐお電話を!!!
だいぶ涼しくなりました。朝、道場に向かうため玄関をあけると、すっかり秋の香りがします。先日、ソファーに座るなり横になって寝てしまいました。窓からの風が心地良く、うつらうつらしているのが、たまらなく気持ちよい!少しのうたた寝でしたが、起きた時は何だか体が軽く、「蛹から蝶になった感じだなあ〜」と思いかけ、そこでふと「待てよ…」と疑問がわきました。「果たして蛹は心地良くまどろんでいるのだろうか?」
人間でも背が伸びる時に成長痛で痛くて眠れない子供がいるくらいです。ましてや蝶の場合、青虫が蝶々になるわけですから、整形レベルではない激しい変化です。
人間世界で言うのなら
・アメリカ帰りの松田聖子
・流行らせよう感が痛々しいほどの韓流スター達の同じ顔
・フリーザ 第1形態から第4形態に至る、その過程
蛹の中は痛みとの闘いかも。その前に痛みを感じたりするのだろうか…
いろいろ調べてみた結果、細胞レベルの話やホルモンの専門的な話は難しくて全くわかりませんでしたが、僕の結論としては、「蛹の時間は秋のまどろみとはほど遠い」ということになりました。
蛹の時代、蛹の中ではまず脳を含めた中枢神経と呼吸器系以外が一度ドロドロに融解するらしい?ですからこの時期の蛹は少しの振動でショック死するそうです。
狼男が人間から狼に変わるときものすごく苦しそうなのと同じ様なイメージで、蛹の中でも「グググググッ!」と細胞がみるみる変化を遂げる軋みを耐えているのか。
その前に昆虫は痛みを感じるのか?
痛みに関しては、感じる、感じない両説ありましたが、感じないとするほうが多かったです。痛みを感じる説でも、「神経はあるので、ちぎられたり潰されて神経を傷つけられれば痛みを感じる」という説でした。人間のような痛みの感じ方ではないようです。昆虫は死ぬときは、他者に食べられるという、かなりパンチのきいた死に方が多いのですから痛みは感じないでいて欲しいです。捕まえられたり敵に襲われると明らかに逃げる素振りをみせますが、あれは身の危険を察知して逃避行動をとるらしいのです。本能って不思議ですよね。これも個体差はあるのでしょうか?人間にも鈍感だったり天然だったりする人がいるように、蝶々にもいち早く危険を察知するものと、クモの巣に引っかかっても気付かないものといたりするのでしょうか?
普通であれば危険に関しては察知する能力はあるのだから、逃げることのできない蛹の時代は危険に対して100%受け身だと考えれば、蛹の中で体はドロドロに溶けていても生き残っている脳は常に外敵に対して緊張感にさらされているはず…まどろむ余裕など全くないに違いない!と僕は考えました。蛹の気持ちが気になりますが、蛹にはなれませんから真相は謎です。いつか謎が解ける時代がくることを祈ります。
タテアゲハは良く見かける蝶々だそうですが、青虫で約二週間、蛹で約三週間、成虫で約三週間生きるとのこと。人間で言えば二十歳までは子供、それから五十歳まではまだまだ人として中身が出来上がらず、五十歳からようやく経験を積んで大人になる、といった感じです。遅い気はしますが現代の僕等はこんなペースなのかもしれないな〜。
論語にはこのように記してあります。
子曰く 「吾 十有五にして学に志し 三十にして立ち 四十にして惑わず 五十にして天命を知る 六十にして耳順い 七十にして 心の欲する所に従いて矩をこえず」
まだまだ僕も蛹の時代。
のんびりまどろんでダラダラしている時期ではない!
弱い部分は溶かして再構築だ!それを繰り返しながら50代で揺るぎない人生を踏み出そう!
おじさんの蝶々として羽ばたく日を夢見て、あと10年自らも熱い稽古で蛹から華麗な羽化をしてみせます。
ある日、道場内で僕が白鳥を身にまとい「白鳥の湖」を練習していたら優しく一言諭して下さい。
「白鳥は鳥類だよ」と。
To be continued
今年の夏、僕はほとんど蚊に刺されませんでした。
もちろん蚊に対する対策は立てて夏にのぞみました。家の窓にも網戸にも玄関にもたっぷりと「網戸に虫コナーズ」をかけ、部屋にプッシュするだけのスプレーをプッシュしたり、寝るときはさらに液体ベープをつけたりしました。
そのせいか、家では一度も蚊を見ませんでした。初めは「蚊に勝利した!」とほくそ笑んでいましたが、考えてみると外でも刺されていないのです。これはどういうことか
…そもそも、今年、蚊自体が少ないのではないだろうか?そう思った僕はネットをのぞいてみましたら、同じように感じた人はたくさんいたようで、
「猛暑でボウフラがそだたない」
「水溜まりが干上がってしまい育たない」
「豪雨でボウフラも流されてしまい育たない」
など、いろいろな理由がありましたが、何にしろ昔より蚊の数は減少しているようです。
しかし、「このままどんどん蚊が減って絶滅たりして…」という夢はまったく描けず、そればかりか、未来の日本の蚊事情について恐怖すら覚えています。
そのわけは、ある一冊の本を読んだからです。
その本とは
「蚊學の書(椎名誠編著)」*とても面白いので是非読んでみてください
日本の蚊は、暑すぎても寒すぎても生き抜けない。しかし、ご存知のようにアマゾンにも、さらにシベリアや北極にも蚊が存在するというのです!
アマゾンはまだわかる。熱帯の蚊がマラリアなどを運ぶのはよく聞く話ですがシベリアや北極にも生息しているとは初耳でした。
しかも、日本の蚊とは気合いが違うようで、「隙あらば刺しちゃうぞ〜」という可愛いものではなく、闘志剥き出しに全力で集団で襲ってくるとのこと。デニムの上からも突き刺してくるというから驚きです。なんとアグレッシブな!その姿勢だけは見習いたい。
大きさも強さも日本の蚊の比ではない!
日本のようにそこそこ綺麗な水溜まりでぬくぬく育つわけではないですから当然ですよね。アマゾンの猛暑の中を北極の極寒の中を、強く生き抜いた筋金入りの叩き上げですから、日本の蚊とは根性が違います。
日本の蚊がゆっくり時間を使ってあわよくば判定勝ちできたら嬉しいな〜と思っているとしたら、彼等は試合開始と共に上段回し蹴りでの一本しか狙いません。殺気が溢れでています。
だから、怖いのです。日本だって蚊にとって厳しい環境になれば、一時的に蚊が減ったとしても、次にはそれに耐えうる叩き上げの強い蚊が育ってくるはず……温暖化にともないアマゾンで見かけるような蚊が日本にも発生するかもしれない。
僕が年金暮らしになるころには殺虫剤などなんのその、網戸すら壊す勢いの蚊がいる可能性だってなくはない!しかもすごいウイルスをもっているに違いない!
折しもデング熱が蚊によって発生しております。地球のどの場所にでも行ける時代ですから、日本には存在しないウイルスだってやってきます。それに加えて日本の蚊自体が強く逞しくなりすぎたとしたらと想像すると恐ろしい
…日本の蚊よっ、蚊取り線香の煙にヨヨと立ち眩みを起こして倒れこむ、そんな乙女の心を忘れないでくれっ!
あ、ちなみに血を吸うのは交尾後の雌ですが、雄は交尾後死んでしまうそうです…虫の世界は雄の役割が儚くて嫌いです。
自然に畏怖の念を抱くのと同時に、個人レベルでも自然との共存についてできることを考えていかないとならないと強く思わされた夏でした。
遂に終焉を迎えたw杯
連日のワールドカップ、日本戦は熱くライブで見ましたが、それ以降は録画して見ています。
僕も朝から晩までコツコツ頑張っておりますから、夜、体は疲れております。夜中に試合を見ながら眠りに落ちるわけです。
しかし、頭の片隅では試合を気にしている……脳は眠すぎて白眼をむいてガックンガックンしながらもアンテナを張り続けています。
「メッシ!」とか「ゴール!」とか「PKだ〜!」というような単語にいちいち反応し、ビクッとして起きる。そしてまた夢の世界へ
……その結果として朝起きた時には全く寝た気がしない。ついには決勝トーナメントに入ったところで体の披露はピークに達し、ブラジルとチリが入場してきて、両チームが試合前に見事なまでにアクロバティックなダンスを繰り広げ、北朝鮮ばりのマスゲームをきめてから試合に入るという幻覚までみてしまいました。
朝起きて寝ぼけた頭で「いや〜今季からの決勝トーナメントはすごいなあ!試合前にショータイムなんて斬新過ぎる。疲れちゃうじゃないか…」と念のためしておいた録画を見て完全に夢であったことを知り、その日以来夜はテレビを消してゆっくりと休み、起きてから時間のある時に見るようにしています。
世界の一流選手のプレイは、当然興奮させられますが、僕は解説者にも興奮です。ガンガンパスを回すサッカーで、選手の顔まではっきり見えるわけでもなく、よく各国選手の名前を入れながら解説ができるなあ!と。
「モドリッチから右サイドのスルナに出て、マンジュキッチの起点、 ペリシッチからさいごは18番オリッチのゴール!」……すばらしい……ピッチで走り回る選手を見て、わかるんですね!僕にはスバシッチ、ブラニッチ、モドリッチ、ブロゾビッチ、コバチッチ、ペリシッチ、マンジュキッチ、オリッチ…ときた時点で誰が誰かまったく理解不可能、ましてや激しく動く中で名前をあげて解説するなんて、絶対無理です。たまに「あ、誰かにイエローカードです。誰でしょうか?」などときくと何だか安心します。あと数試合、この解説も楽しみたいと思います。
もう一つ、僕がワールドカップで気になっている事が。完全に個人的な意見ですが、ドイツの洗練されたオシャレ感、すごいと思いませんか?別に僕がゲルマン系の顔が好きな訳ではないのです。全体的に何だかオシャレなんです。
考えてみた結果、
1.試合がなんとなく正統派(サッカーは詳しくないので分かりませんが)
2.奇抜な髪型や髭のぶっ飛んでしまった選手がいない
3.腕中タトゥーの選手がいない という理由にいきつきました。
そのままで美しい!チャラチャラした感じがなく、知的で紳士的なチームに見えます。
まあオシャレの基準は人それぞれですから、これは完全に僕の個人的好みですが……
ただ、まれにみる空手少年少女の気合の入った髪型。あれはどうなんでしょうね、気を使う場所を違えているし、そもそも武道という観点で物事を考えていない残念な感じが溢れていて素敵です。埼京・城北支部としては「そんな事を行う時間があるなら勉強か稽古しろ」で終わりですがね(笑)
たまにこんな感じが大会会場にいます(笑)
スポーツは素晴らしい!
決勝トーナメントでも二度ほど涙しました。競技にかかわらず、最後まで懸命に打ち込み、全力を尽くし、本気で喜んだり悔しがったりする姿は美しいと思います。
そして、喜んでもそこで終わらずさらに上を目指し、悔し涙を流してもそこで腐らず努力を重ねて這い上がる。
受けた刺激を力に変えて、今日の自主トレも気合いが入ります!
今月も夏の暑さに負けないほど、空手に熱い毎日を過ごしていきたいと思います。
非常に憤慨しています。
いや、憤慨を超越し諦めているのかもしれない。僕は今、皐月の中で非常に悩んでいます。
最近 ゆるいものが多すぎやしませんか?
しっかりと自分自身のその足で立てる奴が少ない。
少しの衝撃でユルトロッと崩れ落ちてしまう!
甘いっ(怒)そしてゆるいっ(怒)
昭和世代から見たら根性無しが多すぎる(怒)
もっとガツンと向かってくる奴はいないのか!
俺が拳をつき出せば、または拳を押したときに、この拳を、ガンと押し返してくるくらいのガッツある奴はいないのか(怒)
今僕が熱く訴えたいもの、それは「プリン」です。
僕はマカロンloveですから、プリンは今までそれほど気にしていませんでした。
たまに気が向けば、プッチンプリン3個パックを買ってきて冷凍してから食べる程度でした。
しかし先日とろけるプリンを食べながら、ふと思いました。
「昔のプリンが食べたい…」
ここ何年も食べたプリンはすべてなめらかでやわらかいことに気づきました。
10年くらい前に、実家のそばで食べた昔からある喫茶店のプリンアラモードのプリンが頭に浮かびました。あの卵たっぷりな手作り感満載の堅いプリンが懐かしい。
これからのグローバル社会で生き残れないのではないかと危惧するほどの間違った優しさという名の甘やかしが日本に溢れた結果、プリンの主流はなめらかでトロトロになりました。
トロトロプリンの種類によっては、「これ、飲み物でした?」というくらいのトロトロなものもあります。
今僕が求めているのは、焼き木綿豆腐のような表面に一瞬スプーンが刺さらないくらいの昔ながらの固めのプリンです。小さい頃母親が作ってくれた手作りのあのプリン。
余計なものがいっさい入らない懐かしの自然な味のプリン。そう、まさに焼き木綿豆腐。
顎にまでゆとりを与えた結果、若者の噛む力は年々低下、顎の骨は退化、歯並びは崩れて噛み合わせが悪くなり、堅いものをかまないために将来ボケる人が増えるという説も……そろそろ食生活からワイルドに戻さなければ。
時は今、固いプリンに蝉時雨。
かの有名な馬琴も吟っています(*嘘です)
プリンよっ!
飾り立てた美しさではなく、ありのままの姿でいいのだ。
都会に染まらないでくれっ!砂糖と卵と牛乳だけで十分なのだ!
そのままの素朴な君が一番美しい。
堅いプリン、カムバ〜ク(オスカル風に)
で、僕は今待っています。
気になるあの子は9月13日に北海道は富良野から僕の元へ。
エゾアムプリンなるものが美味しいと聞き、注文したところ、予約がいっぱいで一番早くで9月13日だと
……「会えない時間が愛を育てるのさ」と郷ひろみも歌っていた。
9月までコツコツと指立てと巻き藁突きを繰り返し、指先の感覚を研ぎ澄まし、届いたプリンに精一杯の愛をこめて僕の指を優しく押し当てよう。つれないほど強く、拒否するかのように、僕の指先を弾き返してくれることを祈り続けます、
いつの日か、あのアラモードを食べるその日まで。
5月です!
また一つ僕が大人になる月がやってきました。
40歳までに自分にとって必要なものと不必要なものをハッキリわけて整理しておくと、40歳からの運が大きく開くとか!あと少し、しっかり見極めて整理整頓をしなければなりません。
孔子の言葉として
「吾、15にして学に志し、30にして立ち、40にして惑わず、50にして天命を知る。60にして耳順(耳にしたがう)、70にして心の欲するところに従って矩(のり)をこえず」
と論語の中にも記述されています。
話は変わりますが先日、テレビから流れるニュースにびっくりさせられました。
皆様ご存知とは思いますが、遠足のバスの手配を忘れた旅行会社の社員さんが、遠足が中止になればミスがバレない!と思いつき、
「遠足を中止しないと自殺するぞ」
と生徒を装った手紙を届けるという事件?でした。
なんとも愕きなのは、その幼稚な発想をしっかり実行してしまったという事です。
ぶっ飛びました!
なんというトリッキーな作戦、冗談で思ったとしてもそれを大人が実行するとは…その実行力があれば、バスの手配は何とかなったんじゃないかと思ってしまいます。
言い出す勇気がなくて、日程はどんどんせまり、さらに言いづらくなり、追い込まれて追い込まれてやってしまったのでしょうが、パニックになった頭は、いくつかの選択肢の中で一番選んではいけない選択肢をひいたわけです。
「親戚が急に亡くなりまして…」と嘘をついて会社を休むようなレベルではなく、会社全体の謝罪、さらに警察の調査が入ったり、損害賠償まで検討されているとか……
過去のニュースを思い返してみても、失敗したときに誤魔化そうとして上手くいくことなどありません。
大抵後からバレてボヤで済んだはずのものも大火事になります。
「完全に隠せる確証がないなら、謝るべきものは潔く謝るべきだ」との教訓は何時の世も生かされていないのでしょうか。もちろん今回の事件は例外中の例外ではあるでしょうが。
人間だれでもミスはあります。ミスした時にどう対応できるのか……それを培う為にも失敗をたくさん経験することは大切だなあと思わされました。
逃げるのではなく、腹をくくってしっかり責任をとるだけの強さは持っておきたいものです。
今回の件も、ミスってしまったことはもう仕方ないのだから、クビを覚悟で上司に相談して会社をあげてバスの手配に駆け回れば、大企業ですし、なんとかなったのではないかなあと思ってしまいます。
ピンチのときに「腹をくくる」ことの出来る強さと思い切りと諦めの良さとが入り混じったような、物事を真正面から受け止める勇気は持っておきたいですね。
「あ〜もうどうにでもなれっ!」と開き直りながらも「やれるだけのことはやってやろうじゃないかっ!」という攻めの姿勢は、美しい!
例えそうなる原因を自らが引き起こしていても、なんだか器の大きな人間に見えてしまう!
「腹をくくる」から、ふと疑問に思ったのは、「昔の武士で、切腹を申し渡された時に、嫌だ嫌だと逃げ回るような武士はいたのだろうか」ということでした。
気になったので、歴史オタクの知人にきいてみたところ、「切腹を命じられる武士自体が身分が高く、武士としての教育をしっかり受けているし、暴れたりなどしたらお家断絶になるから一族に迷惑をかけるし、あまりいなかったのではないか」
とのことでした。中には暴れて逃げ回り、「この恥曝しがっ!」と身内に斬り殺されるような人もいたようですが(笑)
子供の頃からの環境によってこうも違うものなんですね。今だったらほとんどの人間が取り乱してお家断絶だなあ。
そんな今の世にあっても、いざという時に取り乱して暴れないように、武士の魂をめざしたいものです。
さあ皆、岩田道場で武士魂を一緒に培っていきましょう!
ちなみに、ここでいう「武士魂」とは
戦国時代までの7度主君を変えるような藤堂高虎公の強烈な雑草魂と
江戸時代の儒教を加味した武士道とを足して2で割ったものを指しています!
電車の扉が閉まるその瞬間でした。
ロングヘアの綺麗な女性が慌てる様子もなく扉に向かってきました。もう閉まり始めていたので、僕は扉近くの吊革に捕まりながら「あ〜間に合わないな…」というセリフを心で言い終わるか終わらないかの一瞬の出来事でした。なんとっ、サラサラロングヘアの綺麗な女性は、春らしい桜色のネイルの上品な両手を、締まる扉の隙間五センチにズバッと躊躇なく突っ込んだ。そして、表情一つ変えず、むんずと扉をつかみ、明らかにググッと力を込めて扉をこじ開けようとしたのです、無表情で…
当然JRとしては、そのまま発車するわけにいきませんから、全ての扉を一端開けました。女性は何事もなかったかのように電車に乗り込み、ウサギちゃんの飾りがついた可愛いピンクのスマホをいじりはじめました。
僕は怖かった。何が怖いって、この光景を目撃しなければ、そんなことをしそうな女性には見えないところが怖かった!
その女性はこれからデートに行くような格好をしていました。
もしかすると、相手の男性の前では、常に優しくにこやかかもしれない。美しいその指を軽やかに男性の指に絡めることでしょう。そしてサラサラロングヘアを風にたなびかせ、鈴の鳴るような声で彼に言うのだろう。
「今日、電車に乗り遅れそうになっちゃって、どうしようっ(^_^;)って思ったのだけど、ギリギリ乗ることができたの〜!」
待て待て待て、はしょりすぎだっ!
思いっきり扉をこじ開けたのですよ!能面のような涼やかな顔で!
誉めるとしたら、自らの力で扉をこじ開けて乗りこんだというところ!
たぶん彼には見抜けない……数年後結婚して初めて彼女の強さに衝撃を受けるはず。
彼女を一生守ろうと誓った男のアイデンティティは脆くも崩れおちる、なぜなら自分が守ってあげる必要は全くないのだから。
女性はおそらく30歳前後、今この若さで鉄のごとき強いハートと確固たる行動力を手に入れていたら、
10年後のハートの強さはタングステン(W)、
50過ぎたらダイヤモンド(C)に硬化するはず。
う〜ん、タングステン→ダイヤモンドとは聞こえは良いが強すぎる。
見た目からは本当に想像がつかないだけに、恐ろしい
…僕には見える、赤羽一番街を両手びっしりに大きな石を着けて闊歩する20年後の彼女が。ドラクエ8なら賢さの種が貰えるが、現在世界ではそんなこともないだろう。ダイヤモンドの嫁さんに守ってもらえると思えば彼も幸せかな、そんな幸せの形もあって良いはず!などと祈りつつ、電車を降りました。
考えてみたら、そんなものかもしれない。交尾しながら雌に食べられるカマキリやクモの話は以前書きました。雌に捨てられ寂しく死んでいく雄ライオンの話もしました。交尾と同時に雌の一部に取り込まれてしまうアンコウだっている。生物学的には女性の方が強いのはわかります。古事記の昔から女子優位なのですから。わかってはいますが、夢を見ることを許して欲しい。そう女を知らない男の書いた古の書物のように。
さらにいえば、古今東西老若男女問わず、「ハートの強さ」は羞恥心を捨てることでは決してなく、自分に打ち勝ち、自己を律するためのものであろう。
何事にも動じることのない心を持とう、常にドッシリ構えていよう。
四月は環境が変わる人も多いことでしょう。ハートの強さは生き抜くための大きな武器の一つです。電車の扉をこじ開ける強さではなく、何事もあきらめない強さを身につけ、大きく羽ばたいていきましょう!
オリンピックが終わってしまいました。
今年も感動で泣かされました!
選手達はこの舞台のために毎日努力を重ね、競技によっては何の援助もない中で金銭面も苦労しながら、一つのことに打ちこみ続けてきたのです。
学生時代「毎日一時間勉強する!」と決めて10年以上続いた人はいますか?「毎日腹筋をやる」と決めて10年以上続いた人はいますか?
自分に置き換えると、ほんの僅かな事でも毎日続けることは難しいものだと実感します。
毎日何時間もの練習を何年も何年も続け、更にその中の選ばれた者だけが、オリンピックの舞台に立てる。そう思っただけで震えがきます!
僕も大きな試合の舞台にたった経験がありますが、オリンピックとなればその何十倍もの重さで張り詰めたような空気感、人々の視線、自分に向かう世界中のカメラ、さらに日本を背負わされ、マスコミにメダルメダルと言われる責任感、だめ押しでスポンサーに「メダル期待してます!」なんて言われた時には気絶したくなるほどのプレッシャーでしょう。
インタビューだけを考えても普通の人で、世界中のメディアにマイクを向けられ、声一つ震えず堂々と笑顔で受け答えが出来る人なんてほとんどいないと思います。オリンピックのアスリート達は、想像を絶するプレッシャーを、自分を律して力に変え、自分のパフォーマンスのみに集中していくのです。凄いの一言につきます。
メダルを逃して、インタビューで謝る選手をテレビでみる度に、「謝る必要なんてないっ!頑張る姿を見せてくれてありがとうっ!」と涙を流しながら僕は感じていました。
努力した本人が一番悔しいはずです。日本でぬくぬく暖かい部屋でテレビを見ている我々に謝る必要はない、ましてや揚げ足取りが仕事の連中に謝る必要はない。
ちなみに、夜中にテレビを見ながら、僕はいつの間にか無意識に正座をしていました。僕も毎日を空手にかけた時代があります。食事も強くなるために考えてとりました。基礎となる拳を鍛えるために毎日コツコツと砂袋を叩き続けました。キツい稽古も耐えぬきました。達成感で喜びに震えることもありますが、悔しくて怒りで震えることも、自分の心が潰れるくらい落ち込むこともあります。そういった経験から、選手達の乗り越えてきたものがどれほどすごいものか想像ができたのでしょう、さらには、そういった努力を続けた人間の中でさらに選ばれた頂点の人間がオリンピックの舞台にたっているわけで、夢叶わず涙を流した人間は山ほどいるのです。そういう想像から来たのだと思うのですが、目にみえない強く鋭い光で刺されたような感じをうけ、光り輝く尊いものを見せていただいているような感じがして、正座せずにはいられなかったのです。感動をありがとうございました。
アスリートは美しい!
何かにガムシャラに突き進む姿は美しい!
ガムシャラに突き進む経験は、メンタルの強さを育てるはずです。そのメンタルの強さは生きる上で一番の宝となります。
そういえば、羽生選手が、自分が認識していた以上の緊張をしていて、それに気づかなかった。ということを言っていました。羽生選手は中学生以来失敗したことのないジャンプで失敗しました。その時のことを振り返り「勘弁してくれよ〜」と思ったと言っていました。自分の認識以上に体が緊張で動いてなかったわけですから、頭はびっくりしますよね。
緊張しなければそれがベストでしょうが、なかなかそうはいきませんから、緊張している自分をどの程度緊張しているか認識することは確かに大切です。緊張は体を堅くします。できるはずの事を出来なくさせます。
メンタルを鍛え、緊張の中で自分のパフォーマンスに集中するためにも、まず自分が緊張していることを頭で認めて、どのくらい緊張しているのか分析にまず意識を向けていけば、必要以上に舞い上がりわけがわからなくなるということは避けられます。最終的に自分のパフォーマンスのみに集中して力を発揮する。これが出来れば、運動でも勉強でも無敵です!僕の半分しか生きていない19歳の羽生選手がアスリートとして必要なことを再認識させてくれました。
さあ、空手を通じて真のアスリートを目指そうではないですか。
強い体と強い心という武器を手に入れ、人生という冒険を乗り切ろう!
うっかりスライムにやられちゃった貴方、
または倒れた自分の棺桶を教会まで引っ張ってくれる仲間がいない貴方、
是非岩田道場で自分を鍛えて一緒にレベルをあげていきましょう!!!
……ドラクエの人気の秘密をなんとなく少し感じとりながらの3月スタートです!
少し時間があったので、本屋さんで普段気にも留めない都市伝説の本をパラパラっと見てしまいました。これがしばらく僕を悩ませることになりました。
内容は「この世界は過去に滅びた歴史がある」というようなもの。
はるか昔の地層に、ガラスが溶けた層が存在していて、それは核戦争でも起こらなければ出来ないような規模だという話でした。だから、地球の人類は核戦争により滅亡した過去があるのではないか…と。
地球ができて46億年、しかし人類が生まれてたった400万年で人間はここまで文明を発展させ、核爆弾もすでに作り上げました。そして今も世界中でたくさんの地域が戦争をしているのは事実です。世界中を巻き込んでの核戦争が起こらないとは言い切れない。
たかが都市伝説、暇潰しだと割り切って笑って済ませられない不気味さを感じてしました。
人間は忘れる生き物です。忘却は神が人間に与えた武器だといいます。ただ、絶対に忘れてはならないことまで忘れてしまっては意味がない。幼い頃教わるような「自分がやられて嫌なことは人にはしない」ということを世界中で教育するだけでも、世界が進む方向はだいぶ変わると思いますが、そんな教育を受ける機会さえない子供達が世界には多くいます。大人であっても、平気で人を傷つける人間も一定数存在します。
ありがたいことに、今ここに平和に生きている僕には、世界の争いを止めるほど大きな力はなくても、子供達に優しさと強さを教えていくお手伝いができたら嬉しいことだな〜と、ふらりと入った時とはうって変わって神妙な面持ちで本屋を後にしました。
話は変わりまして、2月は節分です。
実家から小包みが届きまして、開けると柊の枝と神社の厄除け豆でした。ありがたいですね〜。ドイツは魔除けとしてモミの枝を飾ったり、アジアでは唐辛子を魔除けとしているところも多いようです。縁起物の植物を調べてみましたら、縁起が良いと言われている植物が一方で縁起が悪いと言われるケースが多々ありました。
例えば
@ザクロは子孫繁栄のシンボルとされている反面、実が割れるので家名断絶に結びついて縁起が悪いと言われるようです。
A柿は、お金をかき集めると言われている反面、身が冷えるために縁が悪くなるとも。
B椿は寒い中でも緑の葉を繁らせ生命力があると言われる反面、首を落とすように花を落とすため、武士の家では特に嫌われるらしい。
結局本人の感じ方次第で良くも悪くもなるんですね。
節分の恵方巻きは、七福神にちなんで七種類の具材を入れ、福を巻き込むという意味で太巻きを作り、縁を切らないという意味で一本丸ごと食べるのですよね。
僕はマカロンでも食べようかな、東北東やや右を向きながら、七種類のマカロンを立て続けに飲み込んで、願い事をしたいと思います。
良い子と、賢い皆さんは真似をしないで下さい。エンディング時のサザエさんになることは間違いないのですから。
新年あけましておめでとうございます。
今年も空手を通じて皆さんと一緒に心も身体も鍛え成長していきたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。
ところで、皆さんおせち料理は好きですか?
「あまり好きではない」という方も僕のまわりにはけっこういますが、僕はおせち料理大好きです!
売っている高くて豪華なものではなく、昔ながらの家庭で作るおせち料理が好きです。
売り物の黒豆のようにツヤツヤでなく、多少シワが寄ってしまった黒豆が好きです。
マメに働く「黒豆」、
喜ぶにかけた「昆布巻き」、
金運を招く「栗金団」、
大きな芽がでることで出世を願う「クワイ」
それぞれに意味があるので、意味を考えながら、少しずつ御節をつまむと、パワーをもらった気になる僕は単純なんでしょうかね。
黒豆もこぶ巻きも田作りも似たような味ですが、お正月だなあ〜という感覚が味覚を通じて体に染み込みます。感覚を通じて、しみじみと日本人だなあ〜と感じる懐かしいような暖かな気持ちになる瞬間が大好きなんです。
例えば丸の内線や銀座線の見事なまでの整列乗車に参加したとき。三列で電車を待つ人々の隣に、始発を待つ人が三列に待機。先の三列が電車に乗り込んだ直後、始発待ち組は誰が掛け声をかけるわけでもないのに、アウンの呼吸で三列をを崩さずに立ち位置を移動。その姿は日体大名物「集団行動」の如き一糸乱れぬ見事な横移動!これぞ日本のお家芸!と満足感をえながら始発に乗り込みます。
また、大好きなマカロンの柚子味を食べた時、外国人にはオレンジの一種かもしれないが、僕には柚子のマカロンを通して、冬至の柚子風呂や水炊きのポン酢に搾る柚子、お雑煮やお吸い物に浮かぶ柚子の皮など、日本の文化や家庭の暖かな食卓をが見えるんです!
妄想だと笑うなら笑ってください。小さな出来事に幾つものホッとする思い出が付いてくるなんて、お得感満載です!
僕は年齢とともに、日常生活の中で自然の美しさに感動したり、今まで人からしてもらってもさほど気に留めなかった事をありがたいと感じたり、今まで流していた出来事を受け止めて何かを感じることが増えてきました。
今年は少し「もののあわれ」を感じて理解できる、雅な男に近づこうと思います。
戦争や餓えに怯えることなく、屋根の下で眠ることができて、手元に小銭があったなら、世界の上位8%の幸せをもらっているそうです。2014年も政治経済いろいろな変化があると思いますが、日本はすぐ良い結果が出ないと批判ばかり、こぞって叩きに走ります。もう少し誉めて伸ばしてもよいのでは?
日本に生まれたことを感謝して、日本の良さを再確認していきたいと思います。
何か問題にぶつかった時には不平不満を言う前に、一息ついてまずは今に感謝を、それから解決にむけて冷静に対応していこう、そのくらい余裕のある人間になろう!
と、元旦の自主稽古を終え山奥の露天風呂に一人、日本の冬をしみじみ感じながら、2014年スタートです。
道場は6日からの始まりですので稽古にたくさん参加して下さい〜!
「若い」ってそれだけで、体からエネルギーがありますね!
生命力がほとばしってます。歳とともに体力が落ちるのは仕方ないので、せめて日々のトレーニングでガタ落ちしないよう、維持するよう心がけています。
ただ、若者の体力面は羨ましいとはいえ、昔に戻りたいかと問われたら、答えは「否」。
今の方が、目標も、やるべきことも明確でブレがないぶん、楽に生きている気がします。
「楽」といっても決して「楽チン」とか「お気楽に」という意味ではないですよ。今の方が、年齢を重ねた分責任も増え、昔は笑ってごまかせた事もそうはいかなくなっている。背負う重圧は、若い頃よりずっとずっと重くなっています。
では何が理由で、今の方が楽なのか…澄んだ冬の空気の中、寒風にハラハラと葉を落としていく木をみつめながら、僕は考えた…で、気づきました。
今の自分は昔の自分より、余計なものが削ぎ落とされているのです。
若い頃は、それこそいろいろな欲がありました。あれが欲しいこれが欲しいという物欲や、目立ちたい、ビッグになりたい、認められたいという自己顕示欲など、他人に見られる自分を意識したが故の欲が多かった。
皆さんも、持っているはずです…封印したいくらい恥ずかしい昔の写真…
今それを着て歩けといわれたら、罰ゲームとなるような格好で、意気揚々と映る、昔の自分。
長い髪をサラリと風にたなびかせ、背伸びしたファッションに身を包み肩で風切っていたそんな過去があるはずだ!または派手なダボダボの服にゴツいバスケットシューズをはき、大きなラジカセ片手に「チェケラッチョ」と叫ぶ過去があるはずだ。
女性だって、肩パットバリバリのジャケットにぴったりしたミニスカート。前髪は半分上へ半分下へ、太い眉毛にどぎついピンクの口紅を塗って夜な夜なくり出した過去をお持ちの方も少なくないはず!
中身よりも外側を飾ることに明け暮れる過去は多くの人がもっているのではないでしょうか。
その時代から少し大人になると、別の欲がでてきました。強く上昇を求めました。もっと上へもっと上へ、もっと強くもっと強く!!自分を振り返る時間を与えずにガムシャラに突き進んでいる期間がありました。若さゆえに成功すれは有頂天になりますが、さらに上を上を目指すから、苦しむことも多い。日々闘いですね。学生であればこれからの進路や、はたしてこの会社が自分にあっているのか、など、仕事の方向自体にも悩むでものでしょうね。僕自身は、選手でありたいという気持ちと、指導に専念したほうが良いのではないかという気持ちとで揺れ動いていたこともありました。
現在の自分を考えると、もちろん目標は高く自分自身も日々研鑽、やはり強くありたい!
そして、空手を通じて心も身体も強く育つ子供達をみて嬉しく思う反面、もっと何かできないか、もっと伝えるにはどうしたらよいのかと、悩みは尽きない毎日です。
ただ、若い頃に比べて、決定的に違うのは、自分の進むべき道がはっきりとしていることです。
更にまわりから良く見られたいといういうような邪念が剥がれ落ちて、純粋に自分自身との闘いができるようになったぶん、縛りなく身軽に生きていけるようになった気がします。
自分もわかってきますからね。
ピアニストへの夢は天才ピアニスト牛田君を見て、悔いなく諦めることができました。僕のセンスはピアノより空手なんだっ!!!
しかし進む道は決まって昔より一歩一歩に不安は無いとはいえ、やはり、「もっとこうしたい。そのためにはどうしたらよいのか?」と、悩んで試行錯誤することもしばしば……
「四十にして惑わず」
と孔子は言いましたが、なかなか難しいものです。でも、孔子様も、40〜50歳はやりたい事がなかなかうまく進まずに必死にもがいていたようです。「四十にして惑わず」は、孔子が後から人生を振り返って言った言葉ですから、「四十歳くらいで惑わないようにしておくと良いよ〜」ということなんだろうな…人生80年と考えたら、僕はまだまだ。僕がブリなら「イナダ」と呼ばれている頃。僕がえんどう豆なら「さやえんどう」と呼ばれ、蝉なら「幼虫み〜つけた!」と眠っているところをちびっ子に掘り返され、羊さんだったら「ラム肉」として出荷されちゃってる…まだまだそんなヒヨッコです。
今年もあと僅かです。進むべき道は確認済みだ。惑いながらでも、一歩一歩踏みしめて道を固めて進んで行こう!
と考えてみた12月です(笑)
電車で、こんな経験ありませんか?
自分は吊革につかまって立っていて、その前の座席には、ゆったりした間隔で乗客が座っている。自分の近くのに座っている乗客が、自分のためにスペースをあけようと少しズレる。すると連鎖したように、皆が少しずつ少しずつ座席を詰めて、自分の目の前の座席にさっきまでは存在しなかった空間ができる、しかし、残念なことに、自分が座るにはスペースが確実に小さい……こんな時、皆さんはどうしていますか?
僕はこうした優しさに多々出会います。
座っている素敵なマダムが僕を見て
「あ…お座りになる?(壇蜜風に)」
といった感じで少し詰めてくれる。けっして僕は「おいっ席を空けろよっ」と脅してはいません、念のため。基本的にジェントルマンなんです。
するとマダムの隣の若者が
「あ…つめる感じ?そんな流れ?」
といったふうにまた少しつめる。繰り返しますが僕は脅してはいない。
隣の人がつめると、まわりの人間は察します。
「あ、つめれば一人分空くな、さあつめようつめよう!」
言葉は一言もありませんが、皆が少しずつ優しさを持ち寄ります。
しかし、結果は惜しいことに、僕のお尻のスペースの4/5くらい……
僕には無理やりお尻をこじ入れて、「もっと空けろよ!」というアピールをする勇気はない。かといって知らん顔するのも、何となく優しさを踏みにじるようでツラい。ツラいからといって、移動してその場所を離れれば、僕は「席を空けて座らせてください」とは一言もいっていませんが、なんとなく、つめてくれた乗客から
「なんだよ!詰めさせるだけ詰めさせておいて、そのまま行くのかよ」
と言われているようでいたたまれない。
イタズラに女心を弄んだ奴だと後ろ指さされるような気がして、移動もできない。
じゃあ、と勇気をだして、「皆さん、少しずつ詰めてくれてありがとう!ただ、あと一歩足りなかったんです!さあ、あと少しだけすみませんが更につめていただいて、空けるなら完璧な一人分のスペースをお願いします!」とは図々しすぎて口が避けても言えず、だからと言って「せっかくあけていただいたのに、僕がこのスペースに入らないお尻であったために、優しさを無駄にしてすみません。皆さんのお気遣いには感謝しています」というのもちょっとおかしい……かくして、「こういうとき、どうしたものかなあ…」と思ったまま、なんとなく雰囲気だけで感謝を醸し出しながら、しばらく電車にゆられているのです。
そのうち、明確に「座りたい!」という意志を感じる人がやってきて、「すみません、ここ、いいですか?」と魔法の一言により、微妙だった隙間はザザッとモーゼの十戒のごとく空くのであります。そこで「みんなの優しさのリレー、感動のゴール(ジローラモ風に)」といった気分になり、僕は初めてホッとするのです。
電車といえば、最近嬉しいこともありました。電車の床に空き缶が落ちていたのですが、20前後の女の子が降り際にすっと拾っていきました。
駅でも素敵な光景を見ました。
赤ちゃんを抱いたお母さんが急な夕立の中タクシーを待っていました。
屋根の無いタクシー乗り場で、お母さんは赤ちゃんが濡れないようにフードをかぶせて庇うように抱いていました。僕は改札にいて、「タクシー早くきてあげないかな」と気になっていました。そこに息子を連れた母親が通りかかり、一度通り過ぎてから赤ちゃんを抱いたお母さんに気づいたようで、すぐ引き返してきました。そして、さしていた傘を赤ちゃんを抱いたお母さんに差し出し、息子と一本の傘に二人で入り帰っていきました。赤ちゃんを抱いたお母さんはもらった傘をさし、親子が見えなくなる時、二人にむかって何度も頭を下げていました。
優しさってけっこうあちこちにあるものですね。
そういった場面に出会うと元気をもらえます。最近元気をもらう場面に多く遭遇しているので、今月は元気のお返しを心がけたい!
まずは、道場生に全身全霊で愛に溢れる稽古を。今月の道場は熱いぞっ!
という訳で、リズム真横蹴りを3分10セットから始めましょう〜!
それでは、また来月までSee You!
もうすっかり朝晩は肌寒くなりましたね!
緑だった木々の葉も黄色く色づきはじめ、風もなんとなく愁いをおび、夜ともなれば虫の声が胸に染み入るこの季節、最近僕の心の隙間に入り込み、心を虜にしたお話をさせてください。
それは「お墓」の話。
あ、「お墓」の話といっても、「墓を買おう」とか「墓が高い」とか、「坊主丸儲けじゃないか」とか「戒名高すぎる」とか、そんな下世話な話ではないのです。
この世界は非常に興味深い分野です。お墓=宗教ですが、宗教や信仰とはサイエンスではなく情緒であって、成仏出来る出来ないなんて、それこそ答えの出ない、まさに信仰の問題なのです。信仰、宗教は一先ず置といて、
*写真は岩清水八幡宮。河内源氏の氏神であり、源氏棟梁の源頼朝の祖 八幡太郎義家が元服した場所としても知られています。赤羽八幡宮もここから勧進されています。
秋の夜長につられて、僕は先祖から脈々と流れる「成仏に対する概念」に興味を持ったのです。ことの始まりは、夏のお盆。
夏の月記にも書きましたが、僕は自分の死後、特に何らか形に沿った儀式を望みません。大切な人が時々思い出してくれたらそれでよい。そして誕生日、盆暮れ、命日に好物を供えてくれたら良い。
ただ、そうは言っても、「土に帰らないと成仏できないよ」などと知り合いにいわれたら、「そうか、成仏はしたいから灰を土に帰すことだけはしないとなあ」などと思ってしまう自分がいました。
ここで、ふと考えた。
やはり何だかんだ言っても、自分は先祖代々受け継ぐ成仏の概念に縛られているのだな!と。
そこで気になったのが世界のお墓でした。
様々な人種、様々な宗教、それに基づいて、この世とあの世の関係も違うだろう。
当然、「どうしたら成仏できるのか」という考え方も変わる。そうなると「お墓」も変わるだろう!と考えたわけです。
調べてみると、様々なお墓に出会いました。さらに驚かされたのは、世界中の墓をめぐって歩いている「墓マイラー」まで、すでに存在しておりました(笑)
まずはアメリカのお墓。アメリカはキリスト教に基づいて、「死後復活を待つ」という考えが多いようで、土葬が多い。土地も広いですから問題もなさそうですが、日本と違い一族でお墓に入るのはかなりな名家だけなようで、個人個人埋葬されるため、祖母の墓がカリフォルニアで父の墓はワシントン
といったように広いお国を象徴するように親族が眠る場所も点在したりするようです。
ちなみにカリフォルニアからワシントンまで4,491km。北海道最北端の稚内から沖縄までが概ね3,500kmですからアメリカ大陸の広大さが理解できます。そして、そんな墓参りはしたくない。しかし最近では火葬も増えているそうですが、これもさすがアメリカ、火葬場の火力が日本の比ではないそうで、バンッバン燃やして終わったころには既にサラサラの灰!ダイナミックですね。
スペインにはお墓マンションが存在していました。カプセルホテルのようになっていて、そこに棺を入れてコンクリートで蓋をして名前などを書いたプレートをはめるようです。骨壺ではなく棺をそのまま入れるのが驚きでした。
イギリスには「薔薇の墓地」がありました。墓石ではなく代わりに薔薇を植えるのです。日本のように「この日にお墓参りにいく」と事前に決めて行くより、毎日散歩で寄りたくなる美しさでした。
スウェーデンは素敵でした。「死んだら森へ還る」という考えのもと、「森の墓地」なるものが存在していました。世界遺産にも登録されています。ただただ美しい緑の丘や森が広がり川もながれ、静かに礼拝堂が建っています。森の中には墓石があります。散灰を希望する人は「森の墓地」内にある「追憶の森」というところに撒かれます。僕はこれには感銘をうけました。もしや僕の前世はスウェーデン人なのではないか?と思うくらい、「還りたい」と思わされたお墓でした。興味ある方是非ググってください!
福祉国家らしく、埋葬税でまかなわれ、ストックホルムでは所得の0・07%が所得から引きさられます!さすが「揺りかごから墓場まで」のお国ですね。
*写真2はスウェーデンの「あの世観」イメージ。僕の遺影にも転用出来ます。
また違う意味で納得したのが、イスラム圏でした。
その国によっても多少違いはありますが、イスラム教は偶像崇拝禁止だということで、日本のようにガッツリ名前を刻んだお墓などは、ほとんど建てないようです。
死ぬとアラーの審判を受けると考えられ、その際遺体が必要なため火葬は禁止です。
また向きもメッカの方向をむけて埋めます。日本では火葬が基本なので、イスラムの方が日本で亡くなった場合、土葬を嫌がる日本と火葬すると地獄に行くと信じられているイスラムの方々とで問題が起こっています。
インドは火葬してガンジス川に流すのが多いようでした。ガンジス川は「聖なる川」なので罪も洗い流されて悟りの境地に達すると考えてられているそうです。男性が火葬した骨を持ってガンジス川に行き、ガンジス川には案内人もいて、「あなたはここから流して」と指示されるらしい。その際ノートに葬られた人の名前と喪主を記入します。
いや〜ざっと調べただけでも、世界各国死生観も様々ですね。
宗教的に土葬が当たり前の地域も多いんですね。
何をもって死後の安らぎとするかは、その宗教と地域により違うので、万一自分が死後成仏できずお化けになってしまった場合、「助けてください〜」と幽霊の姿で駆け込んだ先がお坊さんではなく牧師さんだったら、果たして僕は成仏できるんですかね………スピリチュアルな方でわかる方がいたら教えてください。
お墓をいろいろ調べて、決意したのは一つ!「死後誰にも迷惑はかけない」ということ。どこにどのような形で埋葬して欲しいのかを明確にしておき、それにかかる費用もすぐにわかるようにしておこう!と。実家の墓にでも入るのだろうけど。
人生の最期、スマートにいきたいですね。美しい散り際の準備はしっかり考えておきたいものだ。死んでも空手は続けて行きたいから道着だけは持って行こう!
と、しみじみ感じて10月のスタートです。
何はともあれ一度の人生、楽しんで過ごして行きましょう!
それでは、また来月までSee You!
今年も猛暑でしたね!
陽炎がたつ武蔵浦和では命懸けの稽古、皆、本当に頑張りました!ご褒美に岩田先生のプロマイド(香り付き)をあげたいと思います。
夏休み、お墓参りに行った方も多いのではないでしょうか?
僕の故郷である北海道は七月にお盆を迎える家が多いのです。
東京でも都心の人にきくと七月にやったという方が多くいました。一般的なのは、やはり8月13〜16日でしょうか。御先祖様が3泊4日でこちらに帰ってゆっくりして、またあの世に帰っていくという考えなんですよね。
迎え火送り火を焚いたり、精進料理を供えたり、キュウリやナスで馬を作ったり、親族集まって大宴会をしたり、灯篭流しをしたり、それぞれいろいろなやり方があると思いますが、大切なのは御先祖様を思う心です。
僕は思います。
何十年か先、僕がキラキラ光るお空のお星様になった時には、特に決まった行事は望みません。あとに残った僕の大切な人達がたまに僕を思い出してくれて、僕の誕生日、盆と暮れ、そして命日に毛ガニとマカロン、夕張メロンに生ハムを添えて供えてくれたら、それで充分です。
思ってくれることが一番だなあ、お供え物は好物限定でお願いね〜と、柄にもなく控えめな願いを考える時間を、僕の夏休みは少し与えてくれました。
さて、話は変わりますが、僕の朝はNHKです。
朝からキャピっと若い可愛いお姉さんの明るいテンションが寝ぼけた頭に馴染まず、落ち着き払ったNHKが心地よい。
しかし、3ヶ月ほど前から実は、数分だけ「目覚ましテレビ」を見ております。
なぜかというと、それは「目覚ましジャンケン」に参加するためです。
ご存知の方も多いでしょうが、リモコンを使って視聴者と毎日ジャンケンをします。「勝ち負けあいこ」でポイントが加算されていき100ポイント以上で景品に応募ができるというものです。ここで、僕は不思議体験をしました。
その体験とは……
今までも、「ツイてるっ!」と感じる期間と「ツイてない」と感じる期間は存在していました。
日単位だったり、年単位だったり、とにかく良い運気の時期と悪い運気の時期があるとは思っていました。
ただ、それは「なんとなく感じてきた」もので、明確にいつからいつまでかはわかりません。しかし、その線引きが初めて明確になる経験を目覚ましジャンケンで体験したのです。
それは1ヶ月前に遡ります。毎朝二回ある目覚ましジャンケンにて、負け続け始めたのです。3日間負け続けたあたりで僕は意地になり始めました。
「このままではおかない、倍返しだ」
決してハイジのセリフではありません。たかがジャンケン、されどジャンケン。朝の直感を試されるのです。大人ですから、別に1日の気分を左右されるほどではないものの、やはり朝一から、「負けた!」「また負けた!!」と二回も繰り返すとなれば、負けず嫌いの空手家の血は疼く。次の日のジャンケン勝負が待ち遠しい!そして負ける…さらにまた負ける「あいこ」でもないのです。敗北するのです。選ぶもの選ぶもの全てが負けること一週間。僕は敗北し続けました。土日はジャンケンがないので、次の勝負は月曜日。
あ〜なんとか勝ちたい!モヤモヤしたまま土日を過ごしました。
そして朝、待ちに待った月曜日がやってきました。
が…なんだか、気分が先週とは違う。色んなところに覇気がある!
そしてジャンケン選びに迷いがなかった。ピンとくる!とはこのことです。
なんとなく、「パーだな!緑をクリック」という感じでした。
しかし先週の負け癖のせいで、「またどうせ負けでしょ」と、負けた時のショックを少しでも減らすため先にマイナスを考えておく卑屈な態度もできかけていました。
ところがなんと、この朝、僕は久しぶりに勝利をおさめたのです!「やった〜!」と舞い上がるほど嬉しかったのですが、もちろん武道家ですから、テレビの向こうの対戦相手に敬意を払いガッツポーズは決して取りません。ガッツポーズを決めたら勝ったジャンケンもそこで敗退、それが極真館の目指す空手道 大山精神の継承なのです。
謙譲の美学と溢れ出るエロス それが岩田 學だという訳です。
とにかく、喜びを噛みしめ一時間後の第二戦、これもピンときて勝利!
先週とは違う…と確信しました。そしてなんと一週間僕は勝ち続けました。ジャンケンで何を出すか、何となくピンとくるんです。そして大丈夫だという安心感がある。先週とは真逆に勝ち続け、少し怖くなった金曜日の二回目のジャンケンでアイコとなり、絶好調運気の終わりを知りました。
人間 何かを成し遂げるのに努力は必要です。ただ、努力だけではどうにもならない運気の流れは存在しています。それを目覚ましジャンケンにて再認識させられました。
何をやってもダメな時期もあれば、何事もうまくいく時期もある。
運気の流れが悪ければその運気に逆らわずに「今はこういう流れなんだ」と落ち着いて、マイペースにコツコツ頑張って、次に運気の流れが絶好調に変わった時にその頑張りを最大限生かして自らを上昇させる!
そうやって生きていこうという思いを、頭だけでなく、体の中から理解したのでした。
ただ、努力を欠かしては、良い流れも活かせませんから、目標に対する努力は欠かさずに行きましょう。
次にまた、目覚ましジャンケンに連勝し始めたら、とりあえず、ロト6に挑戦します!
では皆様、今年度も後半戦になりました。ビシビシと稽古して自分を高め、流れをつかめる実力を、運気を巻き起こす実力を、女神の前髪をわしづかみ出来る実力をつけて行きましょう。
女神の前髪は植毛可能であることを祈りつつ、支部長月記の筆を置きたいと思います。
それでは、また来月までSee You!
始まりました。世界水泳!
逞しい肉体美が右から左へ、左から右へ!毎晩熱くなってしまい、夜更かしが続いています……誤解される前に言っておきますが、決してそちらの趣味があるわけではありません。
なぜ、僕が熱くなるのかといえば、大きくわけて二点に絞られます。
まず一点目。
それは筋肉業界に携わるものとして、あの肉体美の裏に隠された努力がいかに凄いものかということが普通の人より身近に感じられるためです。
あの肉体美には、本人の長年に渡る絶え間ない努力とまわりのサポートがつまっている。その長い長い努力をこのレースに、競技の時間だけなら10秒〜40秒ほどの短い時間のためだけに賭けてくるのです!熱くならずにいられない!
若い彼等は我々の何倍も何十倍も、人によっては何万倍も頑張っているのです。彼等の鍛えあげられた筋肉に刺激され、俺も負けてなるものかと、真夜中に、ダンベルを口にくわえて、首を上下させながら、「とにかく選手全員実力をしっかり出し切れますように!」とテレビの前で祈らずにはいられないのです。
二点目は水泳選手という存在事態が、僕からすると「神」に近いという点です。
どういうことか……ここは男らしく結論から言いましょう。
僕・・・・泳げないんですよね。
海に入るような夏合宿には浮き輪が必須です。そんな僕からすると、競泳は見ていて驚くことばかりなんです。
砂浜にいるときには常に海岸を凝視し、シャチが僕を狙っていないかを警戒しなければいけません。
なぜならば、彼らは波打ち際まで捕食行動を行うからです。
またホオジロザメの襲撃にそなえて、杖は欠かさずに携帯しなければなりません。
なぜならば、鼻先を突かなければ確実に喰われるからです!
さらに泳げませんから、
@浮き輪
Aシュノーケル
B脚ヒレに
Cアームガードは必需です。
上記にプラスして命綱を装備したならば、「安心安全」に海水浴を心置きなく楽しむ事が出来ます。
注1*写真はイメージであり、実在の人物とはなんら関係はございません。
・・・・話を水泳に戻しますと、
そもそも何故浮いていられるのか?
背泳ぎでターンの時、何故に誰も頭をぶつけないのか?
飛び込みでゴーグルはとれないのか?
バタフライなど進むのは何故か? まったく納得できない。そんなレベルです。
さらに僕を驚かせるのは選手の食事です。
水泳選手ですから、食事もバランスだけでなく超人的な量になります。
一説には1日4000キロカロリーだとか!!!
ガラスの胃腸をもつ少食の僕の二、三日分の食事を1日で食べる勢いです!
胃と十二指腸で消化し、小腸で栄養素を、大腸で水分を吸収するわけですが、そんなに食べていたら消化すら出来ず、消化しないのであれば吸収も出来ませんから、排泄までまっしぐらに突き進む結果となります。また競技練習のためとはいえ、冷たい水に何時間も浸かっていたら、僕の胃腸は五分で悲鳴をあげますね。したがって、僕は運動のセンスには自信があるが、どう逆立ちしても水泳選手にはなれない!僕にとって、水泳は異次元のスポーツなのです。
今回の世界水泳、僕は世間同様「萩野公介選手」に夢中です。
18歳と若い彼の無限の可能性を信じる力にグッときます。
彼は、日本人は自由形では世界に通用しないということが常識とさえなっていた中で半世紀ぶりに自由形でメダルを獲得しました。
さらに、種目を絞って出場するのが当たり前とされている中、複数の種目に出場しています。
彼は言います。
「日本人だから、できないと一度たりとも思ったことはない」
「アジア人は活躍している。背の高さは関係ない。自分の泳ぎで大きな人と闘っていく」
注2*写真はイメージであり、実在の人物とはなんら関係はございません。
この言葉に僕は痺れます。
空手人生、僕も同じように感じて頑張ってきたし、そして今でもそう信じているからです。
空手の世界でも、やはり海外選手に比べ日本人はどうしても体格ではかないません。でも僕はそれでも負けるとは思いません。小さいなら小さいながらの闘い方がある。
幼い頃から僕はそう思って頑張ってきました。大きな選手の攻撃にも負けないように、受け方や捌き方はもちろん、当時は体作りのため必死に食事をとりましたし、体の大きさが自分に対するハンデとならないよう、自分のペースで闘える方法を常に考え、出来ると信じて頑張ってきました。そんな思いも重なって、萩野選手を見ていると自分の魂も熱くなってきます。
岩田道場の子供達も、このように上を目指し続ける心を持って頑張って欲しいし、その心を育てたいと思っています。
空手だけではなく、自分が目指す分野においては、自分の可能性を自分で区切ることなく、無限の可能性を信じて頑張る心を持って進んでいって欲しいと思います。
さあ今日も世界水泳が始まります。また熱い夜になりそうです!
今夜も一人、ベットの上で背泳ぎを練習しながら応援をしたいと思います。
ちなみに、萩野選手は小学生の頃からの徹底した基礎トレにより強い体幹を持っているため、その体幹を使った泳ぎで手足中心に泳ぐより効率よく泳げるうえ、しっかりした体幹ゆえに水中で真っ直ぐな姿勢を保て、水の抵抗が小さくすむようです!やはり全ての基礎は体幹につながりますね。さあ皆さん、体幹トレーニングで明るい未来を切り開いていきましょう!!
といえば丁度タイミング良く、県北支部の渡辺先生と蓮田支部の蓮見コーチと体幹倶楽部を創設しました。なんだ、繋がるじゃないか!
そういうわけで、今後、月1度、第3週の土曜日・武蔵浦和道場 20時〜 渡辺先生も参加して体幹倶楽部を行う事になりました!
僕も頑張りますので、皆さんも頑張って下さいまし!!!
*本文中にイメージで登場して頂きました、石山初段は超運動出来る方で、
スキーはクラウン級!
水泳も海豚級!
そしてご覧になられて分かるように変態です。ご協力ありがとうございました。
しなやかな流線型のBODYを美味しく頂きました!
それでは、また来月までSee You!
女性は恋をするといつまでも若く美しくいられると言います。
恋のドキドキが女性ホルモンを活性化するからだということが、科学的に検証されている。
ここで疑問。では男はどうなんだろうか?
恋で男性ホルモンはでるのだろうか?
「好きな人が出来て、ものすごく男臭くなった」と急に筋肉でも張ってくれば、なんだかガツガツ感が出て逆効果な気すらします。
昨今「草食系」という言葉に象徴されるように、昭和な感じのガツガツ男が減ったように思います。
電車に乗っていても、肌もスベスベで髭もなく、体の曲線も華奢で、腕の毛も少ない。
そんな爽やかな若者をよく目にします。
う〜ん、たしかに、格好良いしモテそうだ。正直、オジサンは嫉妬しちゃうね。
しかし、僕は長年この男くさい道を突き進んできたのです。
男は男であるべきであって、「男子たるもの美醜は必要ない」と敬愛する秋山好古さんも喝破されております。
一生男の匂いをプンプンさせて生きていくのだ!
少々、時代錯誤の僕は、平成のスマート世代に対抗すべく、さらに獣道を深化させるべく
アニマル・プラネット&National Geographicを熟読し、世界と喧嘩できる人間に深化していこうと心に誓った事から今月の支部長月記はスタートです。
というわけで、
お題は梅雨時期のムシムシ暑苦しい季節に、灼熱の「男性ホルモン」話。
男性ホルモンとは何か。
簡単にいえば、「男らしさ」を作り出すものです。
身体的な作用としては、体毛の発育を促したり筋肉質な体を作り出します。生殖機能も大きく左右されます。
内面的な作用としては闘争心や決断力、自分への自信を持たせます。
まあ、バランスを崩すほど有り過ぎても攻撃的で短気で短絡的で性欲ばかり強いという恐ろしいことになります。
ただ、強い肉体と向上心に溢れる男であるためには男性ホルモンは欠かせないものです。
残念ながら「男性ホルモン」は、年齢と共に減少していきます。我々オジサン世代は、しっかり努力をしていかないと男性ホルモン分泌量を維持できないのです。
つまり以前の月記にも記しましたが「オジサン」が「オバサン」になってしまうのです。
さて、僕の所属している、広義では格闘界、狭義では武道・空手界を見渡した時、男性ホルモンたっぷりな人間の比率が多いと思いませんか?
それには理由があるのです。
男性ホルモンの分泌は筋肉と関係があるのです!
男性ホルモンはタンパク質を筋肉に変える働きを持ちます。食事でしっかりタンパク質を取り筋肉トレーニングをすることで、男性ホルモンが分泌されます。
さらに心への刺激も大切です。試合に臨む闘争心や緊張は、男性ホルモンの分泌を助けます。
日々の鍛錬の結果、さらに大きくなった筋肉を維持するために、男性ホルモンは多く使われるため、絶えず分泌が促される。
そしてトレーニングを継続することにより男性ホルモン効果で筋肉が大きく育ち、さらに男性ホルモンの分泌が促される。裁判の判例や、心理学にも登場する「現状維持の法則」が肉体にも強く働くのです。
男性ホルモン分泌にとって筋肉増強は、プラススパイラルなのです!
また、体脂肪が増えると男性ホルモンの分泌を抑制しますから、筋肉質な体を造り維持する事で、安定した男性ホルモンの分泌が期待できます!
これからの時代、戦える身体と心の強さは絶対に必要だと思いませんか?
現在の飽食・日本の中では「体と心の強さ」がなくても、ただ生きることは出来ます。
が、現役世代の僕らもアベノミクスに明記されたように、生産性による業種の選別は、世界規模の競争とともに、ますます激化する事でしょう。
怖いのは、これから始まる次代達(現在の子供達)はそんなに甘い時代ではないという事が非常に高い確率で明らかであるという事。
世界相手に競争できる、戦える人間こそが、日本の未来に、繁栄と社会の安定をもたらしてくれると僕は信じています。
さあ、
男を磨きたい諸君、
男らしさを手に入れたい諸君、
御子息に社会で生き抜ける強さを与えたい保護者の皆様、
一緒に空手で男性ホルモンを活発に分泌させ、世界と戦える強い身体と心を手に入れましょう!
もちろん女性もお待ちしています。女性はそもそも造りが違うので、ムキムキにはなりませんからご安心を!
女性の場合は成長ホルモンの分泌でアンチエイジングに役立ちます。また、自分の身は自分で守れる術を身に付けておけば安心ですね!
さあ、今年の夏も熱さや、迸るほどの汗臭さにはもろともせず、元気にLet's 空手!!
未来の幸せの為に、「今を」頑張って行きましょう!
皆さん、フランスという国はご存知ですか?
そうです、ヘットバットで有名なジダンの国フランスです。
フランスといえばカールおじさんで親しまれている西ローマ帝国皇帝、
ジャンヌダルクの活躍で有名なイングランドとの百年戦争。
近代史ではド・ゴール主義と定義される第3極思想。
歴史を勉強してみれば見るほど楽しい国柄です。
ちなみに日本でお馴染みのフランスベッド株式会社の創業は昭和21年6月5日。
昨日6月8日にはフランスのオランド大統領が国賓として来日し講演を行い、まさに6月の支部長月記に相応しいネタでお届けする今月号。
僕には腹の立つことがあります。かなりご立腹です。
僕が永久の愛を誓った、弾けるようなオーラに包まれながら実はしっとりと絡み付くような肌、小柄で美しく常に僕を笑顔にさせてくれる、そんな僕の天使が、あちこちで汚されている。そんな場面を僕は何度も目撃し怒りにワナワナと怒りに震え、もがき苦しんだのです。
その天使の名は「マカロン」
ご存知の方も多い、あの伝統的フランス菓子の「マカロン」です。
差し入れで戴いたのが僕らの運命的な出会いでした。
あの小柄なボディからは想像出来ない破壊力は、矢口真里クラスです。
僕はマカロンが好きです。マカロンを見たらつい買ってしまう。別に繊細な舌を持っているわけではないけれど、あの見た目の可愛さと食感が大好きです。まずパリッと崩れ落ちるような外側の生地、そしてそのなかにネットリとしたやわらかな生地、続いて現れるクリーム。
上下から同時に攻めてくるあの感覚は、イジリー岡田と江頭2:50が連鎖的に攻め寄せてくる感じに近いものがあります。
さらに、繊細な舌は無いが、ガラスの胃腸をもち少食な僕にはあの小ぶりな大きさが実にぴったりはまる!もちろん一回のおやつに一個でじゅうぶんです!が、カラフルで可愛いので、可愛い小物好きな僕はつい「五個ください」などと注文して、大切にゆっくり味わいます。
そんな大好きなマカロンの人気にあやかろうと、「マカロン」の名を語る「偽マカロン」が最近巷に溢れている(怒)
それが最近一番の僕の怒りです。この怒りはだいぶ前からジワジワと湧き始めていましたが、最近キャパオーバーとなり、道場では怪我人が続出するという事態に発展(←もちろん嘘です)。
故会って、変態仮面が如く、マカロン好きになってしまった僕は、パブロフの犬のごとく、「マカロン」と聞くとつい手をのばします。最近はJR駅構内が楽しみで仕方ありません。以前にエキナカで、カラフルな「マカロンラスク」をウキウキ購入。ラスクですから、マカロンの生地を乾燥させちゃったわけで、当然パリネトっという食感もへったくれもなく、その時に「マカロンという名前に騙されるのはやめよう!!」と固く心に誓ったのでありました。しかし、それからも何度も騙され続けているのです。
最近立て続けに悔し涙を流したのが「和菓子店の出すマカロン」です。
見た目は小さくて丸くてカラフル。名前にちゃっかり「マカロン」を入れてくるため、ピュアな僕は店を信じて、その「和・マカロン」を購入し、楽しみに帰ります。猛者達との熱い稽古を終え、食事をとり、そしてデザートにウキウキしながら「和・マカロン」をとりだす。
「和・マカロン」とはどんなかな?あんこアピールもハンパないから、和三盆糖かなかにか使った生地に生クリームと合わせたあんことかはさまっちゃってるのかな?それとも、きな粉でも練り込んだ記事に黒蜜でもはさんだりしてるかな?……はやる気持ちを抑えて僕はマカロンを口に。そして、裏切られたことを知るのです……「マカロンじゃない(怒)これはどら焼きだっ(怒)
そもそもマカロンはアーモンドを使って焼き上げたフランス菓子なのです。ネットリ濃厚な生地はアーモンドの粉の成せる業であり、もちろんパティシエの腕によって味も食感も違う。しかし、どら焼きになってしまったのでは、シェフの腕も何もない。
「和・マカロン」にはかなりやられました。時に小さく丸くカラフルなどら焼き、 ときに小さく丸くカラフルな饅頭、ときに小さく丸くカラフルな皮に包まれたきみしぐれ。
僕がここで言いたいのは、何度も騙されたくやしさだけではない!職人の意地はないのかっ!ということです。俺はどら焼きは寅やと決めているんだ!という訳です。
売るために名前だけフランス菓子「マカロン」の名前を借りて、マカロンらしさはとっぱらい、「カラフルで小さいどら焼きだけど、マカロンってつけたらうれるんじゃね?」みたいな心に腹がたつ!そのまま単純に和菓子にマカロンと名前だけかりるのではなく、フランス菓子がびっくりする和のマカロンを作ってやろうという日の丸を背負った心意気はないのか(怒)
フランス菓子に和で殴り込みをかけ、「まさにマカロンっ!しかしまさに和菓子っ!」と唸る逸品を作ってやろうというギラギラした心はないのかっ!
やり場のない怒りに震え眠れぬ僕は、その晩遅くまで一人稽古を続けました。
真似ることはもちろん大切です。しかし、形だけ真似てもダメだと思うのです。それをしっかり自分のものとして取りこまなければ、成長したとは言えない。
良いものは真似して、学んで、自分の身にとりこんで進んでいこう、そして極めていこう。
マカロンを通じて空手への熱い思いを再確認して、6月のスタートです!
熱く煮えたぎった心への鎮痛剤に、銀座「六雁」のマカロンを予約したいと思います。
それでは、また来月までSee You!
今年はディズニーランドが30周年ですね。
僕は37周年です。っはい、蛇足情報ごめんなさい。
さて本題に・・
僕もこう見えて、ディズニーランドは嫌いではないのです!ただ、ほとんど行く機会がないのですが…
子供の頃に、家族旅行で、はるばる海を渡って関東に上陸、どこかの駅で、まさかの長女が迷子(当時、15歳)警察に保護されるという事件にもめげず、無事にディズニーランドにたどり着き、夢の国を堪能した記憶が今でも鮮明に蘇ります。
チケットを渡して、くぐり抜けたゲートの先に待っていたのはシンデレラ城。
当時の僕(9歳の可愛い盛り)は思いました。
将来、絶対にシンデレラになろうと。
家族に、その意気込みをポップコーンを口から吐き出しながら言ったら「君は男だからシンデレラにはなれないぞ」と窘められ挫折を味わったディズニーランドです。
そんな僕ですが、先日甥っ子が渡海してきたので、可愛い子供と可愛いオジサンのコンビで行ってきました、ディズニーランドへ。
行ったとしても、空手が大好きなおじさんのディズニーランドとなりますから、「コーヒー飲んで休憩」の回数は、アトラクション乗車の数より多くなります。
甥っ子達が並ぶプーさんに、「プーさんの自堕落ぶりに俺は負けないよ」と勝負にならない勝負を呟きながら、逃げるように背を向けピザをほおばりながら待つわけです。
しかし、不思議なことに、「夢の国」の空気は待つことを苦にしません。
増収増益のオリエンタルランドのホスピタリティーにはただただ脱帽です。
ふとみれば近くをシンデレラが美しすぎる笑顔で軽やかに歩き、泣いている子供に優しく何やら語りかけておりました。僕もシンデレラに優しく包み込まれたい…まさに「夢の国」。
ところで、ディズニーランドには鳩や鴨、すずめなど、けっこう鳥がいますが、どの鳥もなんとなく、小綺麗ではないですか?
ダミ声でなくようなアヒルもいない、あちこちで粗相してフンを落としまくる鳩もいない、一番不思議に思ったのは、普段東京で当たり前に目にするカラスがいない……
まさか、鳥にもオーディションがあるのか!?
とにかく、僕の周りで見かける鳥と、同じ種類とはいえ品が違う!カラスに至っては見かけない!道場近くに住むカラス達であれば、日に数件の「ワゴン襲撃事件」は起こるはずです。
まさか、ミッキー達が、夜な夜なBB弾を片手にカラス退治を……そんなの想像もしたくないっ。
頭を抱えた僕は賢いに友人が連絡。さすがに賢くレスポンスが早い返信メールには「カラス見たことあるよ!」と。
そう、カラスはいるらしい。ただ、ディズニーランド内があまりに清潔なので餌がないので極端に少ないのではないかという話でした。納得です!でも僕が思うにシンデレラ城の影に潜むカラスは、間違いなくディズニーランドのオーディションを勝ち抜いたカラスに違いない。あまりに似合いすぎてますから。
カラスによるワゴン襲撃事件が発生しないのは、ディズニーキャストさん達の優しさの結果なのですね。
「水は方円の器に随う」といいます。環境や仲間によって、人間は良くも悪くもなります。
環境は人を造るけれど、鳥も造るのかな?ディズニーランドにいる鳥は ディズニーランドの空気を乱しません。
シンデレラ城を背に、眩しいくらいの鮮やかな緑の芝生を、がちょうさんが、可愛くプリップリッとお尻をフリながら歩いてきました。ポップコーンを手に歩く女子高生やかわいらしい子供を見つけると「ちょうだいな!」と言うように、プリップリッと媚びうつ感じで近づいていく。たまに、子供がポップコーンをあげたりすると「ありがと〜」と言っているような仕草で、ガッツクこともなく食い散らかすこともなく、可愛く食べていました。
可愛い、可愛いすぎる。
オジサンになった今は、若い頃と違い、あからさまな媚びもイラっとせず受け止められる心のゆとりを手に入れましたから、輝くグリーンの芝生でモンローウォークをきめる真っ白ながちょうを微笑ましく見守っていました。
あの演技力、やはりあのガチョウもオーディションを勝ち抜いた一匹に違いない!やはり有楽町の国際フォーラムあたりで、きっと開催してるな、「ディズニー鳥オーディション」
そう思った時でした。
見知らぬオジサンがガチョウに近付いていって、「可愛いな〜」と手をだしました。その瞬間を僕の大きな一重眼は逃さなかった!
さっきまでの楽しそうなガチョウの顔つきがサーっと変わり、ぷいっとオジサンから顔をそむけ完全に無視を決め込んだのです!
ひどいじゃないか、ガチョウさん。さっきまでの愛想はどこに消えたんだ!オジサンには冷たいのか?!
僕は、いてもたってもいられず、ガチョウに近づきました。可愛い女子高生や子供には可愛くすり寄るくせに、オジサンは無視なのか?
とするならば僕はいったいどちらなのか?
モンローウォークでニコニコ寄ってくるのか、
「チッ」と舌打ちしながら横をむくのか……
僕ががちょうに手を差し伸べると同時に、ねるとんクラブの「お願いします!」を連想しながら緊張していた、まさに次の瞬間!!!
賢明な読者の皆さんなら、お分かりになられる事でしょう。
言う(記載する)までもありません。
そうです、そうなんです。
ガチョウは僕を真っ直ぐ睨みつけ、「グァワグァワグァワー(怒)」とダミ声で威嚇してきたのでした。今にも噛みつきそうな勢いでした。
僕は、あまり人の評価を気にしない方ですが、これにはなんか凹みましたね。
ガチョウさん目線から、悪い奴と判断されたのです。完全に敵を見る目でしたから。
動物と子供は真実を見抜く目を持っていると思っていますから、その時僕は顔では笑いましたが心は泣きました。
甥っ子の「あのガチョウさんは、魔法使いに魔法をかけられたら王子様だから、ヒゲ面が嫌いなんだよ〜」という優しい言葉に、僕は涙を拭うのも忘れて甥っ子を抱きしめ、憎しみのあまり窒息させたのでした。・・・甥っ子は、その後順調に回復。無事に学校も通っています。
環境は人を変える……次回は絶対にガチョウさんに媚びてもらえるほどにディズニーランドの空気に馴染んでみせる!
ガチョウさんにモンローウォークをキメてもらえた暁には、必ず報告したいと思います!
それには、まず美白からだな・・・・
それでは、また来月までSee You!
今年は桜があっという間に咲いてしまい、入学式のころにはすっかり散ってしまいそうですが、ハラハラと散りゆく桜もまた美しいですよね。
桜を下から眺めるのももちろん好きですが、桜より高い位置から桜を眺めるのがより好きです。少し日の沈みかけた夕暮れ時に、桜の淡いピンクが雲海のように広がり、それが夕焼けの色と混じり合って、ピンクのような青のような、紫のような、なんとも捉えどころのない妖艶でありながら上品さは決して忘れない、そんな光を放つ瞬間が一番好きです。
妖艶かつ上品……う〜ん、たまらない。まるで、そう、ローラのような。
頷いた男性諸君も多いはず…かな?
上品…といえば、仏像好きな知人から、楽しい話を聞きました。
人間はこの世での行動によって、「上品上生(じょうぼんじょうしょう)」というランクから「下品下生(げぼんげしょう)」というランクまで9ランクに分けられており、ランクにより、あの世へ召される時のお迎えに差がでるとか…ホントかな〜。
「上品上生」のランクをもらった人は、阿弥陀如来がたくさんの菩薩一団を率いて美しい音楽を奏でながら輝く蓮台を運んできます。この美しい蓮台に乗ってあの世へ旅立ちます。
しかし「下品下生」という最低ランクの生き方だったと判定された人は、寂しく地味な蓮台だけがスーッと迎えにくるのです。
この人生ランクが「上品・下品」の語源となっているようです。
この世だけでなくあの世も格差社会ですね。
ちなみに、僕のランクはどこかな?と探しましたら、9ランク中5番目でした。
低いっと思いましたが、一般人はこのランクなようです。ここから下は悪人です。僕がこの世の人生をまっとうしたら、一応は、あの世からお迎え担当が来てくれるようです。安心しました。僕は非常に方向音痴ですから、たった1人飾り気のない蓮台にのって、あの世を目指すなんて自信がありません。
お迎え担当がいれば、「これからあの世へむかいますよ〜」と教えてくれるでしょうが、一人ぼっちとなれば、たぶんどこに向かうのか、何が待っているのか、まったくわからぬままさ迷うことになるわけですから、これは怖い。若い時なら「俺はどこに向かうのか、この先に何が待つのか!」と冒険心に溢れ体力気力共にみなぎりワクワクするかもしれません。恐れを知らぬ若い僕なら失敗を恐れずガムシャラに進むこともできますが、そこはあの世への入り口。すでに人生を全うした終着点、僕の足腰は痛み目はかすみ耳も遠い、さらに「計画なくガムシャラに進んでも大抵痛い目をみる」ということを長い人生経験により学んだ後ですから、無計画に突き進むなんて恐ろしくて仕方ないはず。
あの世につくまで、どこに罠があるのか猜疑心の塊となり目は血走りゲッソリして再び死にかけたあたりであの世につくことでしょう。そして六道の三途(畜生・餓鬼・地獄)へとに落ちていき苦しむまがら第二の人生(この時点で死んでいる)となるのです。天上道、人間道にいっても苦しみからは逃れることは出来ないようですが。
人生の終わりにわかる自分の生き方の品格。
自分の散り際は上品でありたいものだと、風に舞い、散りゆく桜を見ながら赤羽を歩いていたら赤羽の菩薩こと林家ペー・パー子さんに遭遇。ピンクの衣装が似合っていました(笑)
それでは See You!
・・・先日、いただきましたチョコレートのボディスクラブ
なんでも、これで僕のもち肌を優しく優しくお風呂でマッサージすると、さらにスベスベになるという逸品との触れ込み。
我が家のお風呂になんともラグジュアリーな逸品がやってきました。
しっかり湯船で温まった方が効果があるというので、律儀な僕はトレーニングで疲労困憊の体をゆっくりと半身浴…とお洒落にキメたいところでしたが、なぜかお湯の温度を42度設定にしてしまっており、江戸っ子が好む銭湯のようなお湯に、函館っ子の僕は実は雪のように白くきめ細かいその肌を、石川五右衛門ばりの釜茹で如き熱い湯に浸したのでした。
我慢強さには定評のある僕ですから、猫肌を焼かれる思いながら一言も泣き言も言わず…いや言えず、「心頭滅却すれば火もまた冷たし」の精神で劇熱風呂に浸かり続けました。
効果は最大限味わいたい!
幸せを掴むにはそのぶんの涙が必要なのだ!
過去必死に頑張った自分だけが、つらい自分を支えてくれるのです!
過去の「俺、死んだかも…」というような辛い稽古を思い出し、眉間に全てを集中して、僕は体を浸しつづけました!
全ては初めてのラグジュアリーバスグッズ「チョコレートのボディスクラブ」を堪能するために。
「火傷するのでは」という恐怖感を感じるほどに十分体を温めてから、僕は湯船を後にしました。
さあ、例のショコラをっ!といきたいところですが、軽く立ち眩んだために冷水を浴びねばならなかったのは不覚でした。
兎に角何とか体は温まった。僕はフル○ンでショコラ君と向かいあった。
僕の脳裏に青春時代の初めて体験がよぎりました。
実は紳士な僕は語りかけた。「本当に俺でいいのかい?」
ショコラがそっと頷いたように思いました。
僕は優しくショコラをひらいた……とたんに、あま〜いあま〜いチョコレートの香りがバスルームに広がりました!
完全にチョコレート、
そう、武蔵浦和道場の途中にロッテ工場からもれるあの、けだるい感満載のチョコレートの香り。
僕は鼻炎のため余り匂いには敏感ではありません。
夏の道場で保護者から目が痛いとクレームがくるほどの道場生達の臭いもヘッチャラの、そんな僕にもわかるくらいチョコレートの甘く素敵な香りでした。
僕はショコラをそっと撫でて手で感じてみました。
「・・・ゥや、柔らかい、そして優しい!」
スクラブというからもっとザラザラしていてガシガシと肌を削っていくのかと思ってましたが、違うんですね〜。
しかし擦りすぎは禁物だそうです。僕はまずショコラでそっと鎖骨付近を円を描くようにマッサージ。非常に気持ちがよろしい。僕はご機嫌で体をこすり続けました。
シャワーで流すと………スベッスベではないですかっ!!
これが「余計な角質を一枚剥いだ」状態なのか?もち肌の僕にも角質があったのかと思うと少しショックでしたが、しかしこれは凄い!病みつきになりそうな予感です!
女性はこのようなアイテムを頻繁に使っているのかあ、なんとも優雅な入浴ですねえ。
このぶんでは、明日の稽古で僕に鎖骨突きを喰らわせたら相手をびっくりさせることになりそうです!敵の拳にはショコラスクラブでスベッスベにした僕の白肌がモチモチっと吸い尽くはず。あまりの気持ち悪さに怯んだところを僕の鉄拳一撃で勝負はいただいたな!
いや〜素晴らしいアイテムをいただいてしまいました。